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固定概念の根拠は?

進むこと決めたから感じることができたことがあります。
固定概念は間違いかもしれないって。
自分の中でのあたり前は
いつからそう感じていたんだろう。

物事の正解は考え方

自分の中での基準は生きてきた中で
学んできた全てのことと無意識の感覚的なことが重なったものだと思うんです。

学校の授業で学んできた歴史なんかは世代によって違います。
国や地域が変わればなおさら。
誰かの基準によって事実と歴史の捉え方は変えられていきます。

正しいと思っていたこと

誰にも確認することなく得た知識や経験は
自分の中で真実だったとしても自分以外の人の常識に当てはめれば
嘘だったりします。
逆もそうです。

正解が自分の中の基準

僕の基準は間違っているかも知れない。
って自己否定しているわけではありません。
むしろ逆です。

僕が正しいけど相手も正しい。

相手の正しいを知りたい

相手にとって正しい基準があるはずなんです。
それを知ることで僕の正しいの基準の確認をするんです。
どれぐらいみんなの想いに応えられるかって。

僕が自分らしくいられるために

人の目を意識しすぎると自分を失う気がしませんか。
僕は周りの目をずっと意識しながら生きてきた気がします。
でも僕は僕らしくいられています。
たぶん。

周りを見続けているからこそ色んな人の気持ちに
寄り添ったり適度な距離感を保つことができるんです。
僕が完璧にみんなの思いを感じられているとは思いません。

でも相手の思いを決めつけることだけはしていないと思います。
僕の感じられていない気持ちがあると思うことが
僕の固定概念。

自分の中で曲げてはいけないことに根拠がなければ
自分を信じることが難しくなる瞬間が多くなると思うんです。

自分を信じられるから誰かを認めることができる。

世間の固定概念と自分の固定概念は違う

誰かの考え方に共感することは楽です。
でもそれが全てだと感じることは危険です。

楽に感じるということは誰かの考えに飲み込まれています。
自分で考えることをやめると心身が弱りやすくなります。
人はいつまで経っても自然の一部のはずです。

自然と共存するために考え続けないと
災害などが起きた時に自分で動けないことに気づきます。
多くの固定概念の中で守られていること。
社会のルールという固定概念の中で。

ルールが崩れた時、どう生きますか?
自分の根拠を持って生きていたい。

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