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自分で生きるために。

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自分で進むということ。

新年度が始まって約1ヶ月です。 子供も何とか学校に行ってくれているので努力しているんだろうなって感じます。 僕自身も基本的には現状維持だけど 新しい活動を始めています。 何が自分の行動を後押しをしているかというと 自分で判断したから。 自分で判断するために僕は結構慎重です。 が、考えすぎてわからなくなって勢いで何かを決めてしまいます。 それだも何となく生きて来れています。 自分の中で考え抜いて判断しているかという自信は あまりないです。 僕がやっているのは選択肢を減ら

僕が変わったのか?

子供が小さい頃お世話になっていた先生のところに行く機会がありました。 子供成長に喜んでいただいたのと同時に 僕が今、行動していることを説明した時に 「変わったね」って言われました。 この言葉に違和感を感じながら数週間過ごしていたのですが、 子供が高校に行く姿を日々見ながら 「変わったね」 の意味が何となくイメージできた気がします。 昔の僕子供が小さかった頃 僕は先生方に任せることが最適だと感じていました。 未知の問いに自分の知識をつける意欲よりも 子供の成長と周りの子供達

目的が先か行動が先か。

写真を勉強し始めました。 こらまでも記念写真を撮ったり スマホで何となく写真を撮っていました。 今、写真に興味を持った訳じゃないけれど 僕の生活の中で必要ではなかった。 厳密に言えば今も必要ではないのかも知れません。 でも僕の行動の選択肢の中の優先度が上がったということは… 僕にとって何が優先僕にとっては目的が重要な気がします。 今写真を学び始めたのは 認知リフレーミングと子供達のために活用できると感じているから。 写真の世界を学び始めたから世界が広がり始めたのも事実

情報が多すぎて

ミラーレスカメラを買いました。 バイクで移動することが多いので 気にはなっていたけど 購入したいものの順位が僕の中で 上がってこなかったんです。 何で買ったのか 何で今なのか 自分の中の情報整理認知リフレーミングと向き合う中で 感じたことがあります。 情報の捉え方がみんな違うということ。 当たり前だけどつい忘れてしまいがちになることです。 見えているものが一緒でも 感じていることが違う。 白黒写真とカラー写真 受ける印象が違いますよね 同じ物のはずなのに 写真にす

変化に気づきたいから。

子供の環境が変わる季節です。 期待と不安を感じてくれていれば良いのですが、 ど遅たかの感情が強すぎると 親としては不安に感じてしまいます。 僕自身もそう感じてもらえていたのかな。 僕の心の動き方僕は不安の中の要素を準備することで 期待に変化させていくようにしています。 基本的に怖がりです。 だから色んなことが気になります。 でも転けたりすること自体は嫌じゃないんです。 人生は転ぶことで強くなれると思うから。 強くなるためには上手に転ぶ必要があります。 上手くいってもい

行動のキッカケ

僕の中で何かを始めるときは いつも閉塞感を感じるときです。 大袈裟に行き詰まっている時だけでなく すぐに何かをしなけらばならないことが 無くなった時にも感じます。 ぼーっとしているのがもったいなく感じてしまいます。 単純に寝て過ごすこともありますが、 体力を補うために寝るという目的があってしていると思います。 気忙しいですよね。 僕以外の人はそうでないように見える人もいるのですが あなたの場合はどんな感じですか? 全ての出来事に意味がある自分が能動的に行動しているとき

自分時間と地球時間

時間はみんなに平等にありますよね。 でも自分の意思で使えている時間は人によってまちまちだと思うんです。 この感覚って何ですか? 誰かと共有している時間誰かと一緒に暮らしていると共に過ごしている時間があります。 一人暮らしでも仕事や学校で誰かと関わっています。 この時間は明確に相手がいるので自分の中で 納得して今を過ごしています。 同じ空間の中での時間の共有と感じているから。 ただ何かの作業がここに加わると状況が変わります。 作業配分 自分の行動を制限されてると感じる

自立するために関わる社会

一人で生きることを目指して自分にできることを 増やしています。 誰かに言われた訳じゃなく 誰かに頼ることが苦手だから。 できるだけ自分で考えて 自分でその場に起きた課題を解決することが 自立した人間だと思っていたからです。 でも今は少し違います。 自立するということ我が子の成長と関わる中で 自分ではできないことは存在すると感じたんです。 そもそも自分の基準と子供の基準が違うことは すごく自然です。 僕の身の回りの同世代の人や大人と 僕は同じじゃないとわかっていたのに

卒業というスタート

卒業式の季節ですね。 何かを成し遂げて終わったことに感動するともに 何を成し遂げたんだろうって思います。 自分以外の誰かに思いを重ねて感動します。 卒業を無駄にしないためにしたいことを考えてみます。 卒業の記憶自分が学生生活の中で卒業の時に得たものは 卒業証明書や資格の証明書としての記憶しかありませんでした。 思い出とかは卒業とは別な感情の中で 紐づいているような気がします。 大人になって何かを指導する側になってみたり 親になったことで感じる卒業の方が 卒業自体から多

評価してもらえるということ。

習慣応援家shougoさんに僕のことを紹介していただきました。 今までnoteを書いてきたことが 伝わっていることを改めて実感できて すごく嬉しかったと共に身の引き締まる思いになりました。 誰かに知ってもらうことで 自分にとって心地いい評価もあれば辛い評価もあると思います。 普段の生活の中で誰かに何かを言われるって 以前はビビりながら生きていました。 今も全く気にしなくなったわけではないですが 少し強く慣れている気がします。 それは考え方が変わったから。 誰かのために生

時間の使い方を再構築しています。

何となく情報を取り入れていれば自己満足できていました。 情報に共感できれば自分が成長していると勘違いしてしまいます。 やっぱり勘違いなんです。 時間の無駄遣いかも知れません。 かもです。 情報を取り入れること自体は無駄じゃないです。 無駄にしないための時間効率とは。 情報が無駄になる瞬間は?情報を理解した気になることがよくあります。 なんで気になるんでしょう。 僕は今までの経験を肯定する意見を見つけた時、 共感することで満足して知識の上書きにならないんです。 自分の

綺麗な景色を見たいから。

自分の目に映っているものにどんな色がついていますか? 今、動画の編集を勉強していく過程の中で 色の調整という項目に出会いました。 普段見ているテレビや動画の色と日常で目にしているは 同じものでも違って見えると感じませんか。 人が調整して作った色には作者の意向が現れます。 その色に見る側は感動したり意思を誘導されたりします。 作られた色か自然界の色かそれとも… 綺麗に感じる色はどんな色僕は同じものでも時間帯によって違って見えます。 あとは自分の体調によっても違う色に見え

ルールを理解しているのかな。

ゲームのルールを知らないまま遊ぼうとすると とんでもない高得点を出すか 何も出来ずに終わってしまうか極端に分かれますよね。 この違いはなんでしょう。 感覚だけでやってみる。自分の感覚理解するとルールの抜け道に出会うことがあります。 ルール中で生きていると固定概念が生まれてきます。 自由な創造を失っているんです。 ルールを知らないからできないことは 自分の感覚には合わないことなんですよね。 クリアしないといけないゲーム生きていること自体がゲームだと僕は考える様にしています

自分を理解してもらうために。

誰かのことを調べることは難しいです。 数個の資料だけでは本質に辿り着くことができないから。 資料は多ければ多いほどいいですが、 本質が資料の中に書いているとは限りません。 それよりも難しいのは自分のこと。 学生時代の成績表で自分のことを評価してもらっているのは あくまで評価対象のものが出来ているかいないかだけです。 もちろん参考にはなるけれど 自分でもうまく評価されてないと感じることはありました。 大人になってからの上司や会社からの評価は もっと違っていると感じていました。