見出し画像

バケツ稲から考える、失われゆく東京の水田

ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年2月から東京都日野市に越してきました。
美しい作品を考え、作り、表すことで学習者の主体性を育み、学習者・コミュニティ・世界中の生命を豊かにする、そんな学びの場をみなさんとつくっていけると嬉しいです。


実は今月から、家でバケツ稲をはじめました。


バケツ稲のキットを買ったので、付属の土を入れます。
ふちいっぱいまで、水を入れてしばらく置きます。
田植えした初日。稲はたくさん送られてきたけど、3×4が限界だと知る。
田植えから1週間後。最初は稲を座らせるのが大変だったが、少し大きくなってきた?


バケツ稲を始めようと思ったのは、留学中にアメリカでもアジア系スーパーでお米を買って食べていたのですが、高かったことがきっかけだった。でも逆にお米さえ自分でつくることができれば、私は人生で空腹に困ることはあまりないかもしれないとも感じた。帰国後、安城市のおおきな木さんの玄関先でバケツ稲を育てているのを見て、私も翌年はチャレンジしようと思い立った。

私のバケツ稲は量でいうとほんのわずかだけど、それでも育ててみて初めてわかることがたくさんある。日野市も宅地化が進んでいるが、それでも水田はいくつか残っている。水田を改めて観察していると、「こんな時期に植えているんだ」や「こうやって植えているんだ」など発見が多い。


苗を植えたばかりなのに、鴨が歩いても全然倒れないんだ…とか。


***


さて、東京23区にはいくつ水田が残っているのだろうか。
実は昔からの水田がそのまま残されている場所は、2024年現在東京23区では3ヶ所。目黒区にある駒場野公園のケルネル水田、世田谷区の次大夫堀公園、足立区扇の個人所有の水田のみだそう。(情報が間違っていたら訂正ください)

今、東京23区で育つ子どもは、実際の水田というものを見ないで育つ子がほとんどだということだ。子どものときに水田が身近にあった大人(私も川崎市出身なのでギリギリ見ていたはず)からするとこの世界線は想像しづらいが、自分たちが毎日食べているお米がどのようにできているのかということを本やインターネットや学校の授業で最初に知る可能性が高いということだ。周りに水田がなくても、自分の日常は支障なく回ると感じる人が増えるということでもある。その子たちが大きくなって、企業で開発を行う立場に就いたとき、政府のポストに就いたとき、家を買うとき、選挙に行くとき。水田やその他の生物多様性を考慮した判断を下すことはさらに難しくなるのではないかと想像する。


***


川を河口から水源まで辿っていた私は、川が途中で埋められている場合があることに気づき、2019年7月から本田創さんの暗渠さんぽに参加している。(暗渠とはもともと川や用水路だったところが埋め立てられた場所で、目黒川上流の北沢川暗渠や烏山川暗渠、渋谷川上流のキャットストリートなどが有名)このさんぽの面白いところは、東京のどんなエリアにも大体暗渠があって、さんぽが成り立つところだ。渋谷・新宿・池袋などの大都市エリアではもちろんのこと、絶対に暗渠さんぽ以外で行くことがないような住宅地でも成り立つ。

私のお気に入りは、京王線のつつじが丘駅より北側で、1950年代まで見張り番を立てないといけないような水利権の争いが続いた回だ。つつじが丘は一人では行かないような場所だけれど、そこにも用水路が引かれていて、そこに流れる水を頼りに田畑を耕していた人がいて、稲が年貢(今でいう税金)になるので必死に見張り番をしていた人たちがいたと思うと、人間にとって水やお米は欠かせないのだと改めて感じる。

暗渠さんぽは、毎年6月あたりになると、埋め立てられた川や用水路を歩くのではなくて、多摩地域に実際に流れる用水路を歩く回が多くなる。6月は田植えのシーズン。このときに実際に用水路を歩くと、今23区で蓋をされている暗渠たちも、昔はこんなに生き生きと水を流していたのだと感動する。せせらぐ流れの音に、心が癒される。まれにかえるが合唱していたり、子どもたちが生き物を採って楽しんでいる場面に遭遇することもある。


2021年に四谷用水を歩いたとき。わかりやすく暗渠、と奥に水田。
5〜6月になると現役の用水路から、水田へ水が引かれます。
2022年6月に府中用水を歩いたとき。京王線の隣にわずかに残る水田。
なぜかこのときはヤギさんに遭遇したんだった…
2024年6月に一ノ宮用水を歩いたとき。ここは今も稲と麦の二毛作をやっているそう。
用水路で見つけたザリガニの赤ちゃんを見せてもらえることもあります。


東京の多摩地域でも、水田はどんどん失われている。毎年のようにどこかが休耕し、毎年のようにどこかに家が建つ。用水路も使われなくなる。多摩地域でも水田が3ヶ所しか残っていないという日も近いのかもしれない。自分で日野市の用水路を使ってどこかの水田が運営できたらいいのだけれども、聞くと一反(50mプール一つ分)で年間7万円ほどの売り上げだという話もある。そりゃあ、低地はどんどん家に建て替えられていくわけだ。個人所有の田んぼはどんどんなくなって、学校の体験学習のために管理している田んぼだけが残るのではという話もある。どうしたら人間と自然が尊重し合いながら生きていけるのだろう。


「水辺のある風景日野50選」に登録されている新井の田んぼも、宅地開発がすぐ間近まで。




日野市の水田と用水路を使ってお米をつくりたい。この気持ちをしばらく心に温めておくこととします。





この記事が参加している募集

#アウトドアをたのしむ

10,411件

#この街がすき

43,617件

すべての人が組織や社会の中で自分らしく生きられるようにワークショップのファシリテーションやライフコーチングを提供しています。主体性・探究・Deeper Learningなどの研究も行います。サポートしていただいたお金は活動費や研究費に使わせていただきます。