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理学療法士の “ しごと ”


働くことを通して、                                                  誰かの人生の一部に関わることができることは        どんなしごとでもきっと同じ。   

 

目の前の人の、小さな表情やカラダの変化に           気づく、声を聴く。できたこと・こうしたらもっとよくなることを見つけて、共有する。
その人の奥底にある自分でもわからないような、     本当の気持ちに近づけるように想像力を働かせる。
目標に向かってできることを一緒に準備していく。


理学療法士は、
よーく観察して、評価→治療→共有して      それと並行しながら、目標設定や退院に向けて  できることを準備していくしごと。        (職場や病期によっても違う)

実際には、それらを脳やカラダに関する知識を取り入れながら、目の前の人に反映させていく。


これはあくまで私の視点になるので、 好きなように読んでいただけたら嬉しいなぁと思います。

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ここからは私が一年を通して気づけたことを           少しだけ。 


今まで、歩ったり・立ったり座ったり、寝返ったりトイレに行ったり、全ての動作を何も考えず行っていたけれど、私たちが意図も簡単に普通に動くことができているのは、 自分の脳やカラダが、本当に   絶妙にバランスよく働いてくれているから。 触れている感覚や、物や床への距離感が分からなかったり関節・筋肉一つ動かないだけで、 思うように動かすことは、想像以上に難しい。 トイレに行くことなんて、今まで当たり前のように行ってきたけれど、様々な動きが伴って初めてできることであり、それが生活でどんなに大切か、理学療法を学んで経験して初めて気がつけた。


この一年間がなかったら、理学療法士というしごとへの私の見方はまるっきり違っていたように感じる。想像していたよりずっとずっと深くて、経験してみてから見えることばかりだった。


毎日本当にいろんな方と接する。背景も、性格も、つらい・うれしいと感じることも、何もかも、 みんな違う人だから当たり前だけど全部違う。このしごとを通して、出逢えた人がたくさんいて、 人の健康や気持ちに対して今まで以上に関心を持てるようになった。

初めましてから、ちょっとずつその人に近づけるように、いろんな話をする、情報を事前に集める、 よくよく観察して小さな表情やカラダの変化に気づいて共有する。家に帰ってからもその人が求めている生活ができるように、想像力を働かせてたくさん準備をする。環境設定や、福祉の制度を知っておくこと、家族との話し合いも。本人ができる範囲の中でできる限りの楽しみを見出して生活ができるように。


私はこのしごとをしている人を         とっても尊敬している。            

丁寧に触れないとわからないくらいの、本当に、 些細な感覚を共有できるのは理学療法士だけなんじゃないかと思う。このしごとは、どんなしごとにも通ずるものがあるのではないかと感じるほどに、 色んな要素が詰まっている。


毎日たくさんの人たちと接していて、 誰かのことを考えたり、伝えたりするときに思っていたことは    普段から自分に対しても同じような接し方をしていないと、人に対しても自然とできないんだなということ。人と向き合っているようで、自分とも向き合っていた。 


日々、それをひしひしと感じると同時に、 不安や焦りや、時間のなさ、やることの多さから自分と向き合いたいとは思いつつも、気持ちに余裕が持てず、それがなかなかできない。。 まずは自分が自分を、と分かっているのにできないことが悔しくて悲しかった。


そんな日がずっと続いていたが、
あることがきっかけでそれが全てではないのだと 気づけた。


私が一年間働いて、一番うれしかったことであり、印象に残っていること。

それは、3ヶ月間一緒にリハビリを続けてきた担当の患者さんから頂いたお手紙。 「感謝状です。」と 一言言って渡してくれた手紙には、「車椅子から杖、杖なしで歩けたとき喜んでくれました、お家でも楽しく過ごせるように自主練習がんばります」といったことが書かれていた。動かしにくい右手で長文を書いてくれたことも、書きたいと思ってくれたことも、朝早くきて待ってくれていたこと、全部がうれしかったのだが、何よりもうれしかったのは、自分がずっと想っていたことが届いていたんだということ。


不安と時間に追われすぎて余裕がなかった時、自分と向き合えなくて人と接することにも自信がなくなっていたけれど、なんとか想いながらもやってきたことがかえって来た瞬間のようだったから。


毎日いろんな患者さんと接する中で、リハビリが終わるころに患者さんが嬉しそうに反応してくれることもあったし、逆にそうじゃないこともあった。

その違いっていったいどこにあるのだろう、と考えていたことがあった。


うまく治療ができなかった、と私が感じても、患者さんは嬉しそうにしていることがよくあった。  逆に、結果がうまくいっても、満足していないように見えることもあった。


その時々で、人それぞれ求めていることは違う。  本当は話をもっと聞いてもらいたかったのかもしれないし、見えないところで悩みがあったりしたのかもしれない。ある人にとっては体を直接治療することよりも、気持ちを優先することやペースを大事にすること、もしくは別の方法が合っているのかもしれない。


自分が正しいと思ってやっていたことが、実は相手は全然違うことを求めていて、すれ違ってしまうこともある。だから、一方通行にならないように、 よく観察すること、想像すること、その時に合った選択を心がけてみる。その方がその時間お互いが 心地よく過ごせる。


うまく治療ができないことも多かった中で
小さなできたことをたくさん見つけて共有したい、身体や気持ちを大切にできることに繋げられたらと、いつも余裕がないながらも思っていた。


帰ってからも続けられるような自主練習を、担当の患者さんを想像しながら作っている時間は好きだし楽しい。


経験が少ない中でも、スキル以外のことでもできること。


その時できる、その人に一番近づける身近な方法が、私にとっては、“できたことを共有すること”    だった。


心地よい距離感を保ちつつ
共感することや分かろうをすることが、その人に 近づけることに繋がっていく。時には自分の意見をはっきり伝えたりぶつかることも、私はなかなかできなかったが同じように大切なことなのかもしれない。


そうは言っても不安や焦り、時間のなさ、やることの多さから、いつのまにか余裕がなくなって、できなくなることの方が多いのだけれど、、

自分がどんな気持ちを大切にしたいのか、相手に想っていることさえあって忘れなければ、 自分を想って話しかけてくれたり、頭や身体や気持ちを一生懸命使って向き合ってくれた相手に対してきっと悪い気はしないだろう、と信じている。


それでもできないときは、誰かに助けを求めてみる。 もしかしたら見えないところでみてくれている人がいて、助けになってくれるかもしれない。



よーく観察して、
できたことを見つけて
共有して、 その人の先にある、         なりたいに繋げるしごと。



このことは、もしかしたら他のしごとや、誰かや 自分自身と関わる時にも重なることがあるのかなと勝手に思い、笑 シェアしたくなりました。


正直このタイトルも、決めつけてしまう感じがして 悩んだけれど、仕事を知ることや見方の一つとして、 何かきっかけになったらうれしいです。


まだまだ書きたいことがたくさんあるのでまた覗きに来てください!🌼 次はもっとゆるめに書きます。、笑

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