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抽象に隠された想い。自分の抽象も誰かの抽象も受け入れたい。#9


できることなら抽象だけで生きていきたいと思う。そして、自分勝手に生み出した抽象を誰かと分かち合いたい。けれど、それはとっても難しい。


日々過ごしていると、どうしても具体は避けて通れない。何か人に伝えるんだって、「面白い」だけじゃ相手に魅力は伝わらない。仕事も友達も、すべて5W1Hがないと伝わらないし、生きてすらいけないし、抽象にいくと逃げと言われることも。


でも、そんなおざなりにされがちな抽象を突き詰めることも、時に必要なんだよね。


抽象は、深みがある。自分にとっても、それを受け取った人にとっても。その曖昧さが故に、イライラさせてしまうこともあるけれど、時にその対象について深い思考を生み出してくれる。


抽象は、余白がある。自分にとっても、それを受け取った人にとっても。時間に追われる世の中、余白なんて邪魔者になってしまうけれど、時に余白あるものに触れたい。


そんな抽象を生み出す人に、憧れる。


具体はあまり好きじゃないけれど、抽象が好き。「企画」は抽象と具体の行ったり来たりだけど、抽象を生み出したいから、私はよく企画側の立場をやりたがる。


企画って大まかな流れにすると、こんな感じかな。

①抽象:アイディアを出して企画をする。
②具体:なぜその企画を出そうと思ったのかなど経験や事実をもとに考える。
③抽象:「具体」という点と点を繋げて共通項を見出してゴールに。


多くの具体的な物事を1つにまとめたゴールが抽象。具体が必要と言われがちだけど、結局、最後は抽象に戻るんだから抽象には手を抜けない。


①の作業に入るときは、先のことなんて、②のことなんて一切考えずに、思うままに考える。妄想にも近いのかな。まあ、楽しいよね。


私は①→②の作業は非常に辛い。けど、②→③のために乗り越えなければいけない壁なんだと思って粘ってみる。


③の抽象が自分にしか出せない正解。唯一無二の自己表現となる。ここに到達できた時、ようやく自分の価値を見つけられたり、意味を見出せたりする。


そう考えると、やっぱり抽象を突き詰める作業ってとっても楽しくて。


最近楽しいと思う抽象の作業は、noteのアイキャッチ画像を考えるとき。具体化された文章を絵や写真で表すと「こんなイメージ」と自分の頭の中で思って言葉を検索する。検索された中でもいろんなイメージが出てくるけど、「これは違うな」とか「いや、もっとしっくりくるものがあるはず」と思って自分の中のイメージをもっと具体化しようとする。かかる時間はその時によって違うけど、気づくと答えが見つかるんだよね。


共感されること、理解されることよりも、自分の中で「あっ、これ!」って思えたら、もう、ただそれだけでいい。自分が心から納得のいく抽象をこれからも追い求めていきたい。


自分の中には正解があるけれど、他の人に伝わるかはわからない。全員に伝えるのは無理だけれど、少しの共感があればきっと救われる。誰か一人だけでもいい。


自分勝手に自分の世界の中に潜り込んだものが、誰かに褒められたり、わかるって言ってもらえたりしたら、とっても嬉しいよね。と私なら思う。


とはいえ、今のところ抽象が許されているのって、エッセイスト、イラストレーター、デザイナーなど一部の表現者(アーティスト)などのほんの一握りの人たち。自分の中の正解が認められるって。どういう抽象なら響くんだろう。やっぱり多くの人に共感される普遍的なものだろうか。分からない。


でも、世の中誰にでもある自分の中に持つ抽象は、きっと強い想いが込められているはず。私も言葉にしたい強い想いほど、言葉にできない。そう思うと、私は自分だけじゃなくて、誰かの抽象も受け止めたいと思う。だから、抽象を伝える勇気を持って、みんなで受け入れあえたらいいよね。


一回では分からないかもしれないけど、何度か対話を重ねていくうちに、抽象を共有できるようになったらいいな。その抽象の解釈は、必ずしもお互い同じ答えじゃなくてもいいんだと思う。抽象を通して、受け取った人が、そこに強い想いを、何かがあることを感じとるだけでいい。


そんな私は、自分の抽象を受け止めてもらいたい。そして、誰かの抽象も受け入れたい。

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