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受け入れられないと分かっても、まずは聞いて欲しかった#8



つい最近、モヤモヤ感じた経験をもう少し深く考えて書くことにしました。



大学卒業から2年。大学の友達に、久々飲みに誘われた。会うのも、連絡がきたのも2年ぶり。久々の再会だったので、ワクワクしていた。


でも終わった後、お互い分かり合えない距離感になってしまったなあとモヤモヤした。学生時代は部活動に加えてちょっと変わったインターンやNPOで充実していた私。他の人がしないような行動や経験を常にしてきた自分は、こうなることは最初から薄々と感じていた。でも、久々の誘いだったから、ちょっとの期待を背負って行ってみた。


お店に着いてからは、2年ぶりの再会だね、変わってないねぇ、なんて、たわいもない話で笑って楽しんでいた。


でも、近況の話になってから、周りの人たちとの心の距離が一気に離れた。
自分の近況を、言っただけなのに。


学生の頃もそうやって自分の経験を言うと、「へぇ〜」で終わることはよくあって、きっと周りとは違うんだなあって思ってた。でも、2年という歳月が私と友人たちとの心の距離を開くまでになってしまった。


それは私自身が皆の会話にも、2年という歳月を経て、さらについていけなくなったから。他の部活内の人たちの噂、皆結婚していてどうしよう〜という話。それに、私以外の皆は他の部員たちともよく交流をとっていたそう。

自分とは住む世界の人たちの会話だなと。すべてが他人事だなあと。冷たいかもしれないけど、そう思った心に嘘はつけない。


私は友達関係や結婚よりも、自己啓発、キャリア、旅のことなどなど考えていた。そんな話をしたら、周りの人たちの困惑の表情が目に入った。


多分、これが目を引くようなすごい経験だったら、皆の反応は違ったかもしれない。副業で稼いだり、SNSインフルエンサーになっていたり転職したりしたら。でも、私はまだ夢追いでライティングの勉強中だったり、コミュニティを楽しんだり、そのほかもボランティア的な活動が多い。結果のない状態だと言語化も難しくて、そんな未完成な私の言葉だったから、周りも反応に困ったんだと思う。


自分の近況をバカにされた、とかだったら逆に開き直れたと思う。それは明らかに自分がいるべき場所じゃないし、もう会わなくていいやって。


でもそうではなかった。私の近況を言った後の友人たちは軽蔑でもなく、まるで異文化を目にした困惑の表情だった。その後、話は途切れた。


そもそも自分がこの誘いに乗ったのも、決して無駄に人の悪口を言う人たちではなかったから。そもそも自分も誘われたのも、相手にとって何らか誘うメリットがあったはずだ。私がその場にいてもつまらない人なら、どうでもいいと思われている人なら、まず誘わないだろうし。


でも自分がここに来た意味が、よくわからなかった。学生の頃から浮いていた私がなぜ誘われたのか。
相手にとっても私がいて本当に良かったのか、わからずに終わった。困惑のような表情、話が途切れたことが余計にわからなくさせた。


沈黙はなんだか申し訳なくなるぐらいだった。


いや、でも申し訳ないことはしていないはず。日々自分が幸せと思うものに、素直に行動していっただけ。でも、周りの人にとっては受け入れるのが難しかったみたいだ。


自分がここ2年で浸かってきたコミュニティでは、お互いの頑張りについての話を聞くことに慣れていたし、多様な人たちが集まっているからこそ、私を含め、皆が皆違いに興味を持っていた。いつの間にか自分の中でそれが当たり前だと思っていたからこそ、久々の友人との再会で少しショックを受けてしまった。


自分がこの2年で経験してきたこととの違い。幸せを感じる価値観の違い。でも、そんな違いぐらい乗り越えられると思ってた。なのに、ちょっとした経験や価値観の違いすらも話すことができないなんて。


もういいや。
飲み会の途中で、心の糸がプツンと切れた音がした。誰にも言っていないけど、その場では皆の話に合わせて笑ったりしていたけど、もう会うのは数年後、いや、もういいかなって思った。



ここまでの出来事を経て。


今後もちょっとした違和感と絶対的に分かり合えないことがあったら、切り捨てる勇気を持ちたい。バカにされたとか直接害がなければ、なんとなくズルズルと人間関係を続けてしまうんだろうな。ちょっとした違和感は無視されがちで、気づくと生きづらさがたまっていくんじゃないかと思う。


でも、できることなら自分の第3のコミュニティも充実した上で、これまでの友達とも楽しく話したかったなあ。ただ楽しく話したいだけなのに。第3のコミュニティが周りの人たちを引き離してしまうとは。両立がこんなにも難しいとは。


誰かの考えを否定したり強要したりはしたくない。結婚したいと思う気持ち、安定志向な仕事への気持ち、いろんな価値観があって当然だ。でも、もしかしたら自分自身もそういう価値観に目を向けられていなかったのかもしれない。


自分が受け入れることも必要だけど、欲を言うならもっと皆も身近な人のちょっとした差にも目を向けたらいいのになあって願ってしまう。もっと多様な声に耳を傾けたらいいのに結果の出ていない人にも、未完成な私にも、思うようにうまく伝えられない人にも、本当にその人が伝えたいことに耳を傾けるような居場所にいたい。


対話をしたい。未知なものを見た時、異文化に触れた時、自分と違う意見の時、「なぜ?」「どうして?」と聞くのが好き。自分にとって合わないと思っても、合わないと分かるところまで突き詰めたい。でもそんな価値観すらも今はまだマイノリティなのかも。


受け入れようとか受け入れなきゃ、と思うんじゃなくて、まずは周りの人の声に耳を傾けてみる。そんな優しい世界になったらいいのにな。

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