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いのちとは何か

日本の伝統的な社会では、それぞれ個人の誕生日ではなく、元旦にみんな一斉に年をとったという。

元旦にやってくる年神様に「魂」を分けていただき、新しい一年を生きていく。その名残が「お年玉(魂)」だと言われる。現代でもこの年のとり方は、「数え年」という形で残っている。

それぞれの誕生日を祝うのも楽しいけれど、「みんなで一斉に年をとる」というのも、なんだかほっこりしてうれしい気がする。

ところで、現代のように「個人の誕生日」を基準にした年の数え方(満年齢)になったのは、そんなに昔のことではない。

まず1902年(明治35年)に、明治政府が「年齢計算ニ関スル法律」を定め、満年齢を導入しようとした。ところが、これが全く普及しなかった。要するに、民衆にガン無視されたわけである(笑)。

当時の人々にとっては、個人がそれぞれ年をとるという感覚があまり腑に落ちなかったのかもしれない。結果的に、「国が定めた法律を、民衆が却下した」という形になったわけだ。なんだか愉快ではないか。

それから48年後の1950年(昭和25年)に、今度は「年齢のとなえ方に関する法律」が定められ、ようやく現代の満年齢が普及することになる。

この「年齢の数え方」は、「いのちとは何か」という問いと深く関わっている気がする。

もしかすると、いのちを「個人の所有物」のように捉えるよりも、「年神様からいただいた一年分のいのち」と捉えた方が、案外それを大胆に、いきいきと生かせるのかもしれない。

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