まなびとき / キャスタリア株式会社

いまとみらいを見通すためのメディア

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最近の記事

私たちは、いつでも過去と出会いなおす――柴田勝家『アメリカン・ブッダ』レビュー

(※この記事は2020/10/16に公開されたものを再編集しています。) 私たちは物語を生きている、だから後悔する  私たちは過去をやり直すことができない。けれども、今抱えているような後悔をなくすことができるとすれば、その可能性にすがるだろうか。「そう、僕らはいつだって後悔をするだろう。いくら未来に備えようとも、過去を書き換えようとも、自分の選択が誤っていたと思う時はあるはずだ」(p. 97)。  物語と呼ばれるものは、時間的構造を持っている。つまり、始まりがあって終わ

    • 天才と秀才はどう違うのか――ある哲学者の「消極性」

      (※この記事は2020/10/02に公開されたものを再編集しています。) 天才と秀才の違い  恐らく、よく生きることができる人間は記憶力がいい人間のことだ。ここでの「記憶力」は、クイズ王的なものとは関係がないし、百科全書ばりの情報を蓄えていることでもない。それは、自分に都合の悪いことを進んで覚えておくという意味での記憶力だ。手の中にじっと汗がにじむように、首に何かがまとわりついたみたいに、過去が残っていることだと言い換えてもいい。  心理学者の河合隼雄は、文学研究者であ

      • テクノロジーは、人間とどのような関係を築くべきなのか:マックス・テグマーク『LIFE3. 0:人工知能時代に人間であるということ』レビュー②

        (※この記事は2020/09/09に公開されたものを再編集しています。) 知能の定義や、機械の擬人化をめぐる議論 マックス・テグマークの『LIFE3. 0:人工知能時代に人間であること』の話題は、実に多岐にわたるため、前回扱った基本構成以外の情報を等しく紹介することは非常に難しい。ここでは、いくつかの指摘を列挙するように紹介することで、話題の多様性と魅力について雰囲気を伝えることで満足したい。 そもそも、人工「知能」とは言うけれど、「これに知能はあるのか」という疑問にど

        • 人を超えた知能と暮らす未来のため、いま協働するAI研究者たち:マックス・テグマーク『LIFE3. 0:人工知能時代に人間であるということ』レビュー①

          (※この記事は2020/09/07に公開されたものを再編集しています。) 「え~、当時の人工知能は、汎用性に乏しい初歩的なものでしたが…」  山田胡瓜『バイナリ畑でつかまえて』には、「人類は投了しました」というマンガが収録されている。冒頭は、歴史か何かの授業風景だ。「え~、当時の人工知能は、汎用性に乏しい初歩的なものでしたが…、それでも将棋や囲碁といった知的スポーツの世界では、人間がコンピュータに勝つことはほぼ不可能になっており…」と、歴史か何かの教師が語る。続いて登場す

        私たちは、いつでも過去と出会いなおす――柴田勝家『アメリカン・ブッダ』レビュー

          ルイス・フロイスが日本に「あべこべ」を見たとき、どんな風に世界を見ていたか

          (※この記事は2020/09/01に公開されたものを再編集しています。) 異様さを飼い慣らす  文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、ルイス・フロイスが1598年に著した『日欧文化比較』のフランス語訳に、「異様を手なずける」という序文を書き下ろしている。なお、フロイスは、1532年生まれのイエズス会宣教師で、織田信長や豊臣秀吉に会見したことで知られる。  レヴィ=ストロースは、フロイスの日本に関する観察や分析を、二つの異なる時代の記述と重ねた。彼が引き合いに出し

          ルイス・フロイスが日本に「あべこべ」を見たとき、どんな風に世界を見ていたか

          本は、自分と社会を(再)構築するナラティブとの出会い――渡辺由佳里『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』レビュー

          (※この記事は2020/08/24に公開されたものを再編集しています。) 「この本を抱きながら眠りました」 「この本を抱きながら眠りました」。あるエッセイについて友人と話していたときのことだ。「好きすぎて眠る直前まで読んでしまうんです」と語っていた。  似た事例が、九井諒子の短編マンガにも取り上げられている(『ひきだしにテラリウム』所収の「ノベルダイブ」)。散らかった部屋、たまった洗濯物、シンクには四日前の食器、ぼさぼさの歯ブラシ、住民票必須の手続きの案内、元恋人から結

          本は、自分と社会を(再)構築するナラティブとの出会い――渡辺由佳里『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』レビュー

          無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(後編)

          (※この記事は2020/07/29に公開されたものを再編集しています。) 人は自分を過大視する  けれど果たして、能力や知識において劣っている者が自分を過大評価するなどということが本当にあるだろうか。コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが行った実験が示したのは、誰しも自分の能力を冷静に評価できないこと自体はあるけれども、自信過剰の傾向は、知識や能力がない分野や事柄において強まるということだ。  ダニングとクルーガーによると、能力の低い人は、自分

          無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(後編)

          無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(前編)

          (※この記事は2020/07/27に公開されたものを再編集しています。) ネガティヴ・ケイパビリティ  しばらく「ネガティヴ・ケイパビリティ(否定的能力)」の話をしてきた。ネガティヴ・ケイパビリティとは、詩人のジョン・キーツが使った言葉で、「人が、事実や理由を性急に求めることなく、不確実性、神秘、疑いの中にいることができるときに見られる」能力を指している。  もちろん、ネガティヴ・ケイパビリティは「わかった気になる」態度からは程遠い。だが、「わからないものはわからない」

          無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(前編)

          私たちの変化と、私たちが忘れてしまうこと――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー②

          (※この記事は2020/07/21に公開されたものを再編集しています。) 私たちに訪れた変化  新型コロナウィルスで「接触」の危険性が指摘されたとき、握手をする習慣が失われた。以前なら目が合った人に、微笑みを伝えるために口角を上げていた。マスクの着用が一つの習俗となったとき、私たちは目で微笑みを伝えざるをえなくなった。  イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノのエッセイ集、『コロナ時代の僕ら(Nel contagio)』(飯田亮介訳, 早川書房)でも、こうした関係性の変質

          私たちの変化と、私たちが忘れてしまうこと――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー②

          パンデミックと、正しい希望の持ち方――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー①

          (※この記事は2020/07/17に公開されたものを再編集しています。) パオロ・ジョルダーノという作家  今回取り上げるのは、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代の僕ら(Nel contagio)』(飯田亮介訳, 早川書房)である。ジョルダーノは素粒子物理学を学んで博士号を取得した経歴を持つ。ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』(1981)、パオロ・コニェッティが『帰れない山』(2008)で受賞したストレーガ賞を、『素数たちの孤独』で受賞している。同作と『兵士

          パンデミックと、正しい希望の持ち方――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー①

          ネガティブなのが悪い訳じゃないーー不確実な時代を生き抜く能力とは

          (※この記事は2020/06/17に公開されたものを再編集しています。) 不確実性の時代に、古い本を読む  何度も読み返している序文がある。経営学者・國領二郎の『オープン・アーキテクチャ戦略:ネットワーク時代の協働モデル』という本の「はじめに」だ。1999年に出版された本だが、古びた印象を与えない。  今読んだとしても、思考や関心のあり方、そして、主張の基本的な方向性に、何か重要なものを読み取ることができる。たとえ、持ち出される事例や文献が古く感じられたとしても、議論は

          ネガティブなのが悪い訳じゃないーー不確実な時代を生き抜く能力とは

          思考は謎から目をそらし、問題を忘れる――ビリー・アイリッシュの投稿から考える

          (※この記事は2020/06/09に公開されたものを再編集しています。) ビリー・アイリッシュから考える  2020年5月30日、アーティストのビリー・アイリッシュがInstagramに投稿した画像が話題を呼んだ。今回は彼女の言葉から、考えを進めたい。この投稿は、直接にはジョージ・フロイドという黒人男性が白人警官から8分以上も首を圧迫された結果死亡した事件を受けて出された(投稿の末尾には、#justiceforgeorgefloyd とある)。フロイドが繰り返した、「息が

          思考は謎から目をそらし、問題を忘れる――ビリー・アイリッシュの投稿から考える

          若手哲学者の贈与論を読み解く――近内悠太『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』レビュー

          (※この記事は2020/05/29に公開されたものを再編集しています。) 交換と贈与という関係性  この本で広く用いられる対比がある。交換と贈与である。それは、ひとまず「モノをやりとりするときのあり方」の違いを指示するためのものだが、次第に、「人としての世界や他者との関わり方」の違いを指示するものに変わっていく。順を追っていこう。  交換の典型とされるのは、もちろん商品交換、市場の売買だ。コンビニでは誰が相手でもマニュアル通り接客し、誰であれ定められた価格で売って、形式

          若手哲学者の贈与論を読み解く――近内悠太『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』レビュー

          2020年の春、なぜ恥や誇りや怒りについて考えた方がいいのか――フランシス・フクヤマ『アイデンティティ』レビュー②

          (※この記事は2020/05/20に公開されたものを再編集しています。) なぜアイデンティティが決定的な問題なのか  フランシス・フクヤマは、『アイデンティティ:尊厳の要求と憤りの政治』において「テューモス(気概)」という概念を集中的に検討している。ポピュリズム、あるいは分断の時代を捉える上で避けて通れない「アイデンティティ」という概念を理解する上で、重要だと考えたからだ。  フクヤマは、その問題意識をこう要約している。 アイデンティティはテューモスに根ざしており、テ

          2020年の春、なぜ恥や誇りや怒りについて考えた方がいいのか――フランシス・フクヤマ『アイデンティティ』レビュー②

          「歴史の終わり」の先にあるアイデンティティという問題――フランシス・フクヤマ『アイデンティティ』レビュー①

          (※この記事は2020/05/18に公開されたものを再編集しています。) フランシス・フクヤマという思想家  フランシス・フクヤマの『アイデンティティ:尊厳の欲求と憤りの政治』は、2018年に出版され、その翌年たる2019年には日本語版の翻訳が刊行された。つまり、原書が出されたのは、トランプ政権の誕生からちょうど2年目のときのことであり、翻訳本が流通したのは、彼の出世作「歴史の終わり?(“The End of the History?”)」という論文が表に出てから、ちょう

          「歴史の終わり」の先にあるアイデンティティという問題――フランシス・フクヤマ『アイデンティティ』レビュー①

          想像力を創造する「時間」と「言葉」

          (※この記事は2020/04/30に公開されたものを再編集しています。) 私たちの想像力は創造的なのか?  想像力は創造的だと言うし、前回までのコラムでもそんな話をしてきた。けれど、実際には、散々悩んで唸って想像し考え出したものは、案外に陳腐だ。私たちの想像力の出力が、実にくだらない結果に終わることは少なくない。誰もがクリストファー・ノーランのような創造性を発揮できるわけではないし、誰もがスティーブ・ジョブズのようにイノベーションを起こせるわけでもない。  要するに、私

          想像力を創造する「時間」と「言葉」