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パンデミックと、正しい希望の持ち方――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー①

(※この記事は2020/07/17に公開されたものを再編集しています。)

パオロ・ジョルダーノという作家

 今回取り上げるのは、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代の僕ら(Nel contagio)』(飯田亮介訳, 早川書房)である。ジョルダーノは素粒子物理学を学んで博士号を取得した経歴を持つ。ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』(1981)、パオロ・コニェッティが『帰れない山』(2008)で受賞したストレーガ賞を、『素数たちの孤独』で受賞している。同作と『兵士たちの肉体』を、私たちは日本語で読むことができる。

 そんな著者の2月29日から3月4日までの思索や観察の記録をまとめた文章と、コリエーレ紙に寄稿した記事「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(3月20日付)を合わせたのが、日本語版の『コロナ時代の僕ら』である。様々な観点から書かれた文章の寄せ集めなので――エッセイ集とはそういうものだが――、そこで提出された論点のいくつかを紹介していこう。

世界と、人の直感は異なっている

 私たちの直感(期待)は、線形であるとジョルダーノは言う。昨日の感染者数が10人、今日が20人なら、明日は30人だと推測するだろう。そして、次もその次もその次も10名ずつ増えていくと予想するかもしれない。あるいは、2倍ずつ増えていくと予測するだろうか。「何かが成長する時、増加量は毎日同じだろうと考える傾向が僕らにはある。数学的に言えば、僕たちは常に線形の動きを期待してしまうのだ。この本能的反応は自分でもどうにもならないほどに強い」(p. 22)。

 けれど、自然の、世界の構造は線形ではない。「自然は目まぐるしいほどの激しい増加(指数関数的変化)か、ずっと穏やかな増加(対数関数的変化)のどちらかを好むようにできている。自然は生まれつき非線形なのだ。感染症の流行も例外ではない」(p. 23)。学者なら驚かないことでも、一般の人には驚きをもって受け止められる。

父とのドライブ

 これだけを聞けば、「あーいかにも自然科学系の出自っぽいな(知らんけど)」という感想を抱くかもしれない。けれど、その背後にはいかにも小説家的な感性がある。いくつかの散文を挟んだ後で、子ども時代、ドライブ中に父親と交わした会話に言及している。

父は、高速道路でミサイルみたいに飛ばす車に追い越されるたびに、あの運転手はきっと知らないだろうが、衝突の衝撃というものは、車のスピードに比例して増えるのではなく、スピードを二乗した比率で増えるんだぞ、と同じことを言った。僕はまだ子どもで、父の言葉を正しく理解するために必要な知識を身につけるのはずっと先の話だった。(p. 34)

 多くの人にとって懐かしいかどうかわからないが、運動エネルギーの公式を思い出してほしい。知らなければ今すぐ検索してほしい。そこには、「速度の二乗」が含まれている。「つまり、衝突とは運動エネルギーであり、父は僕に、線形の増加と非線形の増加の違いを説明してくれていたのだ。あれは、直観的な発想は間違っていることもあるぞ、という警告だった」(pp. 34-5)。私たちは直感(instinct)に従って物事を思い描くけれども、私たちには知識によって「慎重さの態度」(p. 33)を身につける必要があるのだ。

 異なるシチュエーションに、こうしたモチーフの重なりを見出すことのできる作家には確かな眼がある。ジョルダーノは、父の語りから「慎重さ」という観点を読みとることで別のイメージを重ね、線形と非線形というモチーフを育ててもいる。モチーフの重なりを描きながら、それを育てることができるのは、作家としての力だと私は思う。

正しい希望の持ち方

 私たちに慎重さを印象づけるように、学生時代に友人と旅行中、吹雪に巻き込まれて悪戦苦闘した際に父にかけた電話のエピソードとして文章に織り込まれている。電話を通じて父からジョルダーノに与えられた助言は、決して具体的ではなく、雪道で行き詰る息子に直接的な希望を与えるものでもなかった。

 「父はきわめて冷静に、ある種の状況下ではあきらめることが唯一の勇気ある選択だと告げた」(p. 33)。原文は知らないので「あきらめる」という単語の元のニュアンスはわからないが、期待に反する状況と向き合う際に必要な「慎重さ」について語っているのだと読むべきだろう。

 そうした解釈を支えるように、ジョルダーノは、「最善を望むこと」が必ずしも正しい希望の持ち方とは言えないと指摘する。「不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる」。そうした希望的観測は、単なるまやかしだから問題なのでなく、私たちを不安に導くからこそ問題なのだ、と彼は言う。

 適切に希望を持つために、事実に即して期待を抱くために、私たちは、その他多くの期待を捨てることから始めねばならないのかもしれない。例えば、自分の思うままに他者を動かすこととか、自分の恐怖や不安を消すこととか、ゼロリスクを生きることとか、計画通りにすべてを動かすこととか、そういった期待をあきらめることだ。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』早川書房(Kindleあり)

ジョルダーノ『素数たちの孤独』早川書房(Kindleあり)

ジョルダーノ『兵士たちの肉体』早川書房(Kindleあり)


②に続く


2020/07/17

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。


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