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私たちの変化と、私たちが忘れてしまうこと――パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代のぼくら』レビュー②

(※この記事は2020/07/21に公開されたものを再編集しています。)

私たちに訪れた変化

 新型コロナウィルスで「接触」の危険性が指摘されたとき、握手をする習慣が失われた。以前なら目が合った人に、微笑みを伝えるために口角を上げていた。マスクの着用が一つの習俗となったとき、私たちは目で微笑みを伝えざるをえなくなった。

 イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノのエッセイ集、『コロナ時代の僕ら(Nel contagio)』(飯田亮介訳, 早川書房)でも、こうした関係性の変質――頬に挨拶のキスをする習慣――が取り上げられている。

 ジョルダーノは、パンデミックがもたらす恐怖を、私たちが生きる社会の安定性が見せかけにすぎないことを明らかにしたからだと言い当てる。

流行がもたらしうる変化のすべてが怖い。見慣れたこの社会を支える骨組みが実は、吹けば飛んでしまいそうに頼りない、トランプでできた城にすぎなかったと気づかされるのが怖い。そんな風に全部がリセットされるのも怖いが、その逆も怖い。恐怖がただ過ぎ去り、なんの変化もあとに残さないのも、怖い。(p. 27)

私たちが安住していたシステムは、パンデミック一つでエラーを起こす。「私たちのシステムは何とか乗り切った」と誇らしげに言う人もいるかもしれないが、感染症は平等ではなく、その苦しみや被害もまた平等ではない。

私たちが忘れること

 パンデミックは多くの変化を起こすかもしれない。社会は根本的に変わるのかもしれない。だがしかし、引用の最後で指摘されるように、人間は図太く、鈍感でもある。新型コロナウィルスの流行は、もしかするとほとんど何も変えないかもしれない。

 一部の先進的な組織が変わることはあるだろう。一部の敏感な人たちを変えるだろう。しかし、一般的に言って、私たち人間は習慣の束であり、習慣には粘性がある。人の習俗全般が、簡単に変わることなどない。きっとバネが跳ねるように、何事もなく元に戻ろうとする力が働くだろう。

 私たちの社会が、あるいは、この世界が変わるとしても、変わらないとしても、こうした危機に際して大切なことはある。私たちは、パンデミックの前後での感情や考えの変化を忘れるべきではない、ということだ。

 この文章を読むどれだけの人が、自分たちの考えや感情、振る舞いがころころ変わったことを覚えているだろうか。少なくとも、ジョルダーノは自分の変化を書き留めている。

 「僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを一枚、キャンセルしなかったことを。どう案が得てもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な私を」。(p. 111)

 「僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを」。(p.113)

愚かだった過去を偽らないこと

 ジョルダーノが記録した変節や弱さは、社会が大きく変動するとき、多くの人が体験することでもある。この文章を見たときに私が思い出したのは、『戦艦大和ノ最期』を書いた吉田満の『戦中派の死生観』だった。そこにジョルダーノと重なる発想を見ることができる。

 吉田満だけではない。吉田に精神的に似ていた鶴見俊輔は、『戦後思想三話』の中で、彼に言及しながら、昔の自分がどんな幻想を抱いて戦争と関わっていたか粉飾せずに書き留めるべきだし、私たちは後知恵で過去を語り直したく欲望と戦わねばならないと述べた。

 ジョルダーノ、吉田、鶴見が言うように、後から見て愚かに思えるかもしれない過去の振る舞いを、粉飾せずに書き記すことほど難しいことはない。危機の瞬間を後から振り返って、「こうしておきさえすればよかった」と、そのときの不安や弱さを忘れて総括することほど愚かなことはない。

 『コロナ時代の僕ら』の書評や感想の中には、この本を、比較的社会的・経済的に余裕のある人物によって書かれた無意味な文章の羅列として蹴とばすような内容のものがある。ブルジョワ主義だとか、そういう話なのだろうか。私がそうした話を見かけたのは、知識人よるレビューにおいてだった。

 しかし、ジョルダーノを、吉田や鶴見と同一線上に置くとき、事はそれほど単純ではないことは明らかだ。少なくとも、ジョルダーノは書き留めていた。恐怖が失われたら何もかも人は忘れ、過去を合理化するだろうという予測の下で、慎重さへの呼びかけと自分の恐怖や愚かさを、彼は書くことで残した(p. 9)。

 この本に愚かさがあるとすれば、それは読み手自身にまっすぐ返ってくる愚かさだ。その意味で、『コロナ時代の僕ら』が鑑なら、時代を映しているというより、読者一人一人の変節や弱さを映し出している。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』早川書房(Kindleあり)

吉田満『戦中派の死生観』文芸春秋

吉田満『戦艦大和ノ最期』講談社(Kindleあり、解説は鶴見俊輔)

鶴見俊輔『戦後思想三話』ミネルヴァ書房

執筆の際に参照したウェブサイト

「写真家ヴォルフガング・ティルマンスが語る、「アーティストの責任」とパンデミック」WIRED

「新型ウイルス被害は「平等ではない」とBBCキャスター 低所得者ほど感染と」BBC(2020/4/12)

「新型ウイルス、アフリカ系アメリカ人の感染が深刻 「驚かない」と公衆衛生長官」BBC(2020/4/11)


2020/07/21

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。

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