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無知は人を過激にし、自分への目を曇らせる(後編)

(※この記事は2020/07/29に公開されたものを再編集しています。)


人は自分を過大視する

 けれど果たして、能力や知識において劣っている者が自分を過大評価するなどということが本当にあるだろうか。コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが行った実験が示したのは、誰しも自分の能力を冷静に評価できないこと自体はあるけれども、自信過剰の傾向は、知識や能力がない分野や事柄において強まるということだ。

 ダニングとクルーガーによると、能力の低い人は、自分が能力不足であること、その不十分さの度合いが認識できておらず、他者のパフォーマンスを適切に評価することもできないため、自分を過大評価するのではないかと指摘している。

わたしが手がけたものを含む一連の研究によって確認されたのは、認知、技術、社会的な一連のスキルについてあまりよく知らない人々は、文法であれ、心の知能指数であれ、論理的推論であれ、銃の手入れと安全であれ、ディベートであれ、家計の知識であれ、何でも自分の能力と功績についてひどく過大評価するということだ。(中略)成績不振のチェスプレイヤー、ブリッジプレイヤー、医学生、運転免許更新を申請する高齢者も、同様に自分の能力を多分に過大評価している。(注2)

この現象には、「ダニング=クルーガー効果(Dunning-Kruger effect)」という名前がついている。

 無知で無能力な領域ほど、私たちの思考は結論を性急に出し、その結論に自信を抱きがちだという、冗談のような性向が私たちにはある。その意味で、「わからなさ」と対峙するというネガティヴ・ケイパビリティは、人間には非常にハードルが高い能力だと言えるかもしれない。

間違いや失敗に気づく力としてのメタ認知能力

 そもそも、なぜ人は、自分に能力がないことほど自分を過大評価しがちなのだろうか。その理由は、「メタ認知能力」にあるとトム・ニコルズは考えた。メタ認知能力とは、自分が何をしているのかを自分でわかる能力のことであり、別の仕方で言えば、自分のしていることをモニタリングする自分がいるということである。

 ダニング=クルーガー効果の文脈に即してアレンジするならば、メタ認知能力とは、自分が何をうまくできていないと察知する能力だと言い直せるだろう。「やっていることから一歩離れて、客観的に観察し、どこが間違っているかを理解する。いい歌手は自分が音程をはずせば気がつくし、優秀なマーケティング担当者は広告キャンペーンが失敗しそうなときはわかる」(ニコルズ『専門知はもういらないのか』59頁)。

ソーシャルメディアでの仁義なき戦い

 こうした能力を持つのは、ある程度その分野に浸かって訓練した人物、つまり、広義の専門家である。けれど、ソーシャルメディアでは、専門家が専門家であるという理由で叩かれていたり、クソリプが集まっていたりする。また、ちょっと新書を読んだだけの素人が、専門家顔をして過激で一面的な珍説を自信満々に展開していたりすることもある。こうした事例を見つけるたびに、「これがダニング=クルーガー効果か……」と嘆息させられる。ほとんど毎日のようにそんな事例を見かけるし、私自身もそうした愚かさから無縁であるとは言えない。

 いやむしろ、ソーシャルメディアこそが、ダニング=クルーガー効果を増幅させているのだろう。エコーチェンバーの議論を思い出すといい。その意味では、テクノロジーを使って、私たちは、自ら進んで傲慢さを高めようとしているのだろう(念のために言うが、床屋談義が禁止されるべきだと主張しているわけではない)。

自分の中のダークサイドに思いを馳せる

 興味深いことに、ダニング=クルーガー効果やメタ認知能力(の欠如)について話すと、決まって起こる反応がある。聞く人が、「あーそういうやつダメなやついますよね」と自分を棚上げして、自分がそこに該当することがないかのように振舞って安心し始めるのだ。その発言に満ちている自信は、人間の認知や自分自身に関する無能力に由来している。

 こうした事例に接するたびに、人間という動物には、スペック上、謙虚さを持つことが難しいのかもしれないと思わされる(……という私の書き方の尊大さにも、事態の困難さがよく表れていると思う)。

 困難だとしても、それでもなお、自分には自分でも気づかない闇があるのかもしれないと想定する態度は大切であり、そこに知的な意味での「ネガティヴ・ケイパビリティ」と呼んでよい何かがあることは確かだ。

 メタ認知能力の欠如ゆえに、自分でも把握できていない暗い部分が自分にはあるのかもしれず、その自分はぎょっとするほど尊大なのかもしれないと想定すること。そうした構えの先にある態度を次回も追跡してみたい。


トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』みすず書房

「ネガティブなのが悪い訳じゃない:不確実な時代を生き抜く能力とは」

エコーチェンバー

注2
David Dunning, “We Are All Confident Idiots,” Pacific Standard, October 27, 2014.


2020/07/29

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。

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