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村人の3つの願い〈助け合いの精神〉

ある村に、貧しくもまじめに心優しく暮らしている夫婦がいました。

ある日その夫婦のもとに貧しい恰好をした老婆が訪ねてきました。
老婆が夫婦に「水を一杯もらえないか」とお願いしたところ、
その夫婦は
「さぞお困りでしょう。お茶と一緒にパンも食べてください。よろしければ夕食も一緒にいかがですか?」
と言って、老婆に夕食までふるまいました。

夕食の席で老婆が夫婦に
「お礼として、なんでも3つ願い事をかなえましょう。」
と夫婦にいうと夫婦はとても喜んで大きい家と立派な服、金貨をお願いしました。

次の朝、夫婦が目を覚ますと住んでいた家は豪邸に変わり、服はすべて豪華に。そして机の上にはたくさんの金貨が置かれ、老婆の姿はなくなっていました。

3年後、老婆が再びその村に貧しい姿で戻ってきました。
そしてあの夫婦を訪ねると、家には高い塀が張り巡らされ、門番が番犬を連れて警備していました。

老婆が「水を一杯ください」というと門番に「お前にやるような水はない」と犬をけしかけられました。

その騒ぎを聞いて出てきた家の主人は老婆の貧しい姿を見るなり
「さっさと立ち去れ」
と言い残して家の中に戻ってしまいました。

老婆は「金持ちになって貧しいものへの配慮をすっかり忘れてしまった。貧しいときには優しい心を持っていたのになんということか。」
というやいなや、夫婦に与えたものを奪ってしまった。

家と服とお金を失って昔のような貧しい生活に戻ってしまった夫婦はその後もずっと貧しいままでした。

参考「ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集 石角完爾著」

これはユダヤ教に伝わるお話です。

このお話では貧しいながらも心優しい村人が、財力を持った途端に人が変わり助け合いの気持ちを忘れてしまい最後にはまたもとの貧しい暮らしに戻ってしまうというお話です。

ユダヤ教では「貧しいものに手を差し伸べよ」という教えがあり、それは貧しい人も裕福な人も同じであると考えています。

この話の夫婦はなぜ変わってしまったのでしょうか?
老婆に対してどのように接することが正解だったのでしょうか?

立場が変わっても、助け合う気持ちを忘れてはいけない。
そんなことを教えてくれるお話でした。

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