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心が「無の境地」に達した日。

今日もよく晴れた一日だった。



うちのリビングに二つある小窓からは、雲一つない青空と、うちの目の前にある公園の木々の緑たちがよく見えて、それはまるで一枚の絵画のようで。

いつものように午前中から、ミニトランポリンでぴょんぴょんと飛び、エクササイズをしながらその小窓から外を眺めていたら、とっても気分爽快になった。

そうして最近は、午前中のうちに汗を流したら、だいたいその流れからシャワーを浴びる。そうすると、身も心もまっさらの状態になった気がして、非常に清々しい。

これからもこのルーティーンを、地道に続けて行きたいと思う。




そんなこんなで体を動かして家事を済ませて、お昼過ぎ頃ほんの少しソファーで仮眠をとった。

そして目覚めると、私の母が入居している老人ホームから、私の携帯電話へ着信があったようだ。(私の母は重度のメンタル疾患を抱えており、現在は老人ホームへ入居中です。)

私の方から折り返し電話をした。

すると、電話口には施設のベテラン看護師さん(女性)の声が。先日の記事にも登場した、とっても感じの良い看護師さんである。年齢は私の母と同じくらいで、60代半ばくらいの方だ。



その方をヤマダさん(仮名)としよう。

ヤマダさんの話しによると、どうやら私の母が、メンタルの病の急激な症状を抑えるための頓服薬(状態悪化時に臨時的に使用する薬)を使うことを、二、三日前から拒否している、とのこと。

母の不安定に10年ほどずっと付き合ってきたが、これはもう「あるあるパターン」なのである。



そのときの気分によって処方されているお薬を拒絶してみたり、そうかと思うと、オーバードーズ(お薬を処方された量よりも多く飲んでしまうこと)してみたり。

とにかくお薬の服用を安定的にできない人、それが私の母なのである。

これはどの病気を抱えている方にも言えることなのだと思うけれど、安定的にドクターから処方されたお薬を飲むことができて、そこからがやっと前向きな治療のスタート、と言えるのではないだろうか。

私の母の場合は、この根本的なところからつまづいてしまう。



ここ数日の母の様子を冷静に分析してみると、これはもしかすると再び精神科へ入院する必要があるのかもしれない。

老人ホームの方々は、介護のプロフェッショナルではあるけれど、メンタル面の病に関してはプロフェッショナルではないのである。

それなので私の母に関しては、どう対応するべきなのかの判断に悩んでしまうことが多々ある、とのことでそこは私としても、非常に心苦しく思っているところだ。


それでもさすが、人生の経験値、仕事の経験値が多くって懐の深い施設の職員さんたち。

大抵のことは臨機応変に乗り切ってくださっている。心底ありがたいことだ。

そんなふうに施設の方々ががんばってくださっているのだから、娘の私も、出来る限りのことはしなければならないって、そう思っている。



以前の私だったらこんなとき「またこうして母の不安定に振り回される!もう、うんざりだよ!!」と、憤り、悔しい気持ちに涙し、この身をゆだねていたのだろう。つい先日、そのような内容の記事を書いた。

でも今日の私の胸中は、まったく違ったのだ。

もはやそれは「無」の境地であった。

母に対する憎しみも、憤りも、悔しさも超越していて、ほぼ感じることがない。

ただただその事実を事実として受け入れ、この先自分がどう動くことが最善であるのかを淡々と考えて、動く準備をする。

それのみ。



先日の記事では、

両親が体調を崩してからのこの約10年の間で私は、様々な葛藤を自分なりに抱え、最近になってあるとき、心の中にあった小さな「壁」のようなものを超越した。

マナヒロ「心の中にあった小さな「壁」を越えた日」の記事より


こう書いたのだけれど。



この「心の中にあった小さな壁」を乗り越えた、
(自分の共感力をコントロールし、疾患を抱える両親に感情移入しすぎることなく、客観的により良いと思われる判断を下すことができるようになったことを「心の中にあった小さな壁を乗り越えた」と表現しました。)

その先にあったのがこの、無の境地の世界、だったのだろうか。



人は生きていれば、自分の意志ではどうすることも出来ないような、苦しいことに遭遇してしまうことがあるものである。

私にとってはそれが、このような気質そして病を持つ両親の元に生まれ、自分自身もそんな両親と同じ気質を抱えながら生きなければならないことが、自分の意志ではどうすることも出来ない苦しいことであった。


このようなことで悩み、苦しみ、心の中でひとり葛藤し、その過程を経て、目の前にある苦しい事実をそのまんまに受け入れられるようになったときに人は、無の世界の入り口に立てるのかもしれないな~、なんて、そんなことを今日は考えた。

侍たちの「武士道」とかって、もしかするとそういうことなのかな?

心に波風が立たない、ひたすらに静かな水面がそこにある………

あ、そうそう。
イメージで言うと、鬼滅の刃の炭治郎の心の中の世界(鬼滅の刃「無限列車編」に出てきます)そんな感じだ。現在の私の心境は。

…………………。


ちょっと今日は、私の心の中の状態をうまく表現できたか不安なのですが、出来る限り今感じていることをそのまんまに書きました。

また逐一記録にもなるので、母の状況をこれからもこうして書いて行きたいと思います。




ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。

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