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場の発明を通じて欲しい未来を作る:藤野地域通貨よろづ屋高橋 靖典さん(コミュニティの教室005)

コミュニティの教室1期終盤戦。今回は最近何かと話題の「地域通貨」がテーマ。講師は、ご自身ももともと藤野が地元なのではなく、お子さんの学校探し(シュタイナー教育)がきっかけで移り住まれ、トランジションタウン活動に参加しているという高橋さんでした。

(編集や情報確認など諸々で遅くなりましたが、2018年11月分講義内容です。)

高橋さんは4年ほど前から「greenzの学校」で地域通貨やコミュニティ経済に関するクラスの講師をされていて、

そこでの学びからKOUを作ったのが前回講師の中村さんとのこと。

コミュニティ通貨KOUからの文脈はあるものの、「資本経済」「お金」みたいなものに懐疑的な気持ちがあったり、だからこそ気になるし知りたい!という参加者が多い中、講義が始まりました。

そもそも「コミュニティ」という言葉の語源には「お互いの贈り物」つまり「贈与」というニュアンスがあり、「経済」という言葉も中国の「経世済民」であり、人のためとか社会のためという要素が入っている。経済が何のために始まったのか、お金とは何なのか?というところを含めて話している8回のクラスを凝縮して話します。とのこと。

1.前提条件:そもそもコミュニティとは(ダンバー数・排他性・ゲゼルシャフト)

類人猿を研究している動物学者ダンバーさんが提唱する「ダンバー数」とは、人間が安定的な社会関係を維持できるとされている人数の認知的な限界のことで、150人程度とされている。脳の新皮質の容量での限界がこの辺りではないかとされているので、デジタル化と都市社会化で社会構造が変わった部分もあるかもしれないが、人間が長らく暮らしていた村とか地域社会はこれくらいとされている。

藤野は50くらいの大小様々な集落があり、(小さいところは10-20世帯、大きいところでも50世帯くらい。)一番大きい駅近くにあるのが藤野なので周辺一帯を「藤野」と呼ぶが、地元のおばあちゃんは車で10分程度の藤野を遠くて集落の外だと認識していて、「『藤野』には滅多に行かない」という。彼女にとっては周囲200mくらいが集落としての範囲。

また、現代では同じ集落に住んでいたとしても、一世帯の中での夫・妻・子に依って所属している組織も違えば関わる人も違うので、お互いのコミュニティがバラバラになっているが、昔は村の中しか知らなくて、みんなが同じコミュニティ内にいた。

人々がそれぞれ属するコミュニティでは、距離の取り方が大事で、攻撃されない安心・安全が保証されていることが必要。ただ、心地良い距離感には個体差や世代による違いがある。(ex.高橋さんの場合は、シェアハウスみたいな他人が家にいる感じは難しいと思っている。)そのため、万人に受けるコミュニティはないと思っている。

また、よくできたコミュニティは外の人にとっては入りづらいと言われている。いいコミュニティは共通言語や共通体験があるから良くなっていて、だから「あれどうだった?」と言えばわかる関係性「去年の夏楽しかったよね」と懐かしむ出来事がるが、それは初めてきた人にはわからない。
人間関係が密であればあるほど、外から来た人に「排他的である」と感じさせてしまう。

だからこそ、中にいる人が意識的に外に対して開かないといけないし、私たちの地域通貨は、その「意識的に開く」ためのツールとしての役割も担っている。「通貨」というとお金っぽい印象を持たれやすいが、よろづ屋でやっているものは「レッツ方式・通帳型」で、つながりの仕組みづくりという側面が強く、お金の代替品ではない。

また、地域通貨自体も「コミュニティカレンシー」「ローカルカレンシー」と表現されるものなので、地域に限られたものではなく、コミュニティに使えるものでもある。つまり、よろづ屋の地域通貨は、「コミュニティを意識的に外に開く」ために意識的に使っているツールでもある。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

コミュニティ(共同体)という言葉は、日本では意味に揺らぎがあるが、ドイツ語ではゲマインシャフト(gemeinschaft)とゲゼルシャフト(gesellschaft)に区別されている。地縁とか血縁とか友情とか自然発生的にできたコミュニティ(共同体)をゲマインシャフト、利益とか機能を追求するもの(会社とか)がゲゼルシャフトと言われている。この話で出てくるコミュニティはゲマインシャフト的なところが大きい。英語で言うと、com(お互いに)+munus(贈り物)。つまり互いに贈り合うもの。お互いに与え合う関係性の集合体がある種の共同体とも言える。

テンニースが提唱したこのゲゼルシャフト(機能体組織、利益社会)とゲマインシャフト(共同体組織)とは対概念であり、原始的伝統的共同体社会(共同体組織)を離れて、近代国家・会社・大都市のような利害関係に基づき機能面を重視して人為的に作られた利益社会(機能体組織)を近代社会の特徴であるとする。
ゲマインシャフトでは人間関係が最重要視されるが、ゲゼルシャフトでは利益面や機能面が最重要視される。日本においては、労働集約型の農業を基礎に「協働型社会」とも呼べるものが形成されていたと言われる。これは産業革命、工業化のプロセスに従って企業共同体へと変貌したと言われる(日本型社会主義)。しかし、バブル崩壊、経済のグローバル化、終身雇用制の崩壊、派遣労働者の採用の増加等に伴い、かつて企業そのものが家族共同体のようであると評された日本の企業風土も1990年代以降大聞く変貌したと言える。

会社はよく軍隊組織の用語から出てくるものが多い。東インド会社はピークで一万人くらいいて、植民地支配の仕組みづくり的要素が大きかった。
支配のための行政機能。会社は人を侵略して資源を吸い上げる的な構造を持ち合わせていた。
日本型の会社は昔は家族主義。家族共同体的な機能を良くも悪くも持っていた。家に帰って子供とご飯を食べることよりも、会社の上司と飲むことが大事。子供が生まれても家庭を顧みず、会社のために尽くして仕事をすることがかっこいいとされていた時代があった。会社が1つの家族だった。ある時期まではこの旧式日本型で保っていたが、近代に向けてゲゼルシャフトになっていき、終身雇用ではないということで変わってきた。

会社以外も含めて、デジタル化と都市化によって社会(共同体・コミュニティ)の形が変わっている。暮らしの変化によって人にも負荷がかかってきているのが今の時代。

例えば、都心の核家族は子供が生まれると子育てに困る。祖父母もいないし、隣に誰が住んでいる位かもわからない社会。(都市では当たり前だが、すごく不便。)母子だけが家の中にいると煮詰まってしまうし、そもそも1(母)対1(子)で子育てをするということは人間の歴史の中でもあまりない。無理がある。

群れで子供を育ててきていたのに、子どもと妻だけになる。難しい。シェアハウスでの子育てとかは、新しい家族の形、新しい子育て環境の可能性を持っているかもしれない。マズローの欲求段階説にもあるように、安全の確保(死なずに暮らせる)とか所属意識・群れていたいという欲求は潜在的にあるものなので、集まって生きる暮らし方は安全を感じることができる。

2.前提条件:そもそも「お金」とは?

歴史的に最も古いとされているのはヤップ島の石貨(移動できない大きな石のお金)。ナマコや木の実しか取れないところで使われるこの石貨は重たくて物理的に動かすことはできない。ので、動かさない。(中にはうみの底に沈んでしまっているものもある。)
なので、家の前や自分のスペースに置くことはできず、動かさずその場にあるままで、「これは誰の家のもの」「これは誰々のもの」という共通認識のみで成り立っている。所謂信用取引の形。
実際の取引のプロセスとしても、明確にその場で「肉と魚を交換」みたいな等価の物々交換があったのかは怪しく、抽象的かつ曖昧なものの目安としての価値単位や会計システム、譲渡性(渡せる)という概念があり、贈与経済だったのではないかとも言われている。

イギリスでも、木の棒に刻みをつけて、国王や貴族が貸し借りしたデータが残っている。薪などになって燃やしてしまったので残っていないが、もの(物理的な通貨)が動いていたのではなく概念としての会計が動いていた。これも信用取引みたいなものがもともとあったのでは。

現代人においても、子どもの頃はお金を使わないで暮らせている。子どもは基本的には親の贈与によって暮らしている。つまり、人間の関係性において元々贈与から始まっていて、余った分をやりとりしたり、あげたりすることから始まっていると言える。

信用取引・贈与経済から秤量貨幣、鋳造貨幣、そして信用貨幣へ

通貨自体に価値があるお金の始まりとしては、殷の時代末期「宝貝」がある。食べるものが満ちてくると、着飾る(モテたい・見栄え良くしようとする)ようになった。貝は宝飾品で、これの取引が最初。そもそも価値のある物として払われた。

その後金属が出てきて、秤量貨幣金銀(重さを測ってその価値を比べていた)があり、試金石などを使って合金度合いを測ることも面倒だし、どんどん削れていってしまうことから、同じ重さの金属の塊を作ろうとなり、単位が統一されたのが、鋳造貨幣。(リディア王国(トルコあたり)のエレクトロン貨が世界初の鋳造貨幣。)

次は信用貨幣としてのデナリウス銀貨@ローマ。
同じ重さの銀の価値をただ銀貨にして、100gの銀と100gの銀貨は同じ価値だったところから、混ぜ物が入ってもその価値を政府などが担保することで同じ価値を表せるようになった。

ここからは贋金と混ざり物の歴史。国家が悪いことをしていくと銀の現物が足りなくなって、一番ひどい時は3-5%しか含有率はない。つまり本来は20分の1の価値しかない、価値は下がっている。けど、国が強ければそのまま保証でき流ので、古代ギリシャやローマは鋳造権を政府が価値を持地、そレを保っていた。

中国の方に行くと、お金の誕生は北宋時代の交子とされている。世界的にも金よりも銀の方が多い。けど、世界中の銀の埋蔵量ってある時期どこかに偏ったりすることでお金がなくなってしまうことがある。それに困って、銅銭とか鉄銭を使う。でも沢山採れるこれらは沢山必要になるから重たい。その問題を解決したのが交子。預かり手形(これを両替所に持っていくと交換してもらえる)ようなもので、これが紙幣の誕生と言われている。この紙幣には「界」と呼ばれる期限があって、交換が必要だった。

両替所が現物がなくても紙だけ発行したらいいとばんばん発行してしまって、取りに来たときに足りなくて取り付け騒ぎになりは破産するということになる。そして、所管が両替所から政府に移るがやはり同じことをしてしまった。その繰り返しがあり、メキシコでコロンブスの話があり、金があったり金と銀を交換したりがあるが、根本的に1971年までは、金とか銀とかの裏付けがある状態でお金が回っていった。

1971年にニクソン大統領の頃、アメリカが持っている金が足りなくなった。それまでは固定比率で1オンス35ドルだったが、金の裏付けをやめた。これより前にイギリスも日本も兌換紙幣から不換紙幣に(金本位制から管理通貨制度に)変わっていった。

今私たちが持っているお金は何を裏付けにしているのか、実は怪しい。アメリカが軍隊が強くて経済が回せるあいだは道路を作ったりできる。(細かくいうと米ドルは債権証書だから貸し出しの証書で、背景には下手にユダヤのロックフェラーとかがでてくる。イギリスの最初の銀行も国家にユダヤ資本の人たちがお金を貸し付けたりしている。未だに資本元に利子の数%のお金がチャリンチャリン落ちていく仕組み。)

お金がお金持ちに集まっていく仕組みにもなっていて、お金があるところにお金が集まった結果、世界のトップ8が持ってる量と人口全体の半分が持ってる資産が同等とも言われている。

お金ってそもそも怪しいもので、信用と信頼で成り立っている。お金は信用しているけど(確かなものかなと思って使っているけど)信頼はしていない(結局1000円や10000円を誰かが何かにと渡せるのは渡した相手もそれがまたその価値として使えると思っているからでしかない。

地域通貨は「信頼できるお金をつかってみよう」という取り組み。

3.地域通貨・コミュニティ通貨とは

貨幣の問題
①価値が変動する(裏付けがないのでふわふわしている)
②富が集中する(金利があるから。宗教によっては禁止していて、イスラムとかは両替所の交換手数料としてとっている。利子が増えるとお金を持っている人のところによっていく。トップ49人が世界中のお金の半分を持っていると言われている。
③価値の一元化(ホリエモンがかつて「金があればなんでも買える」といっていたが、お金の存在に依って、人々は物事の価値を一元的にみてしまう。) これも実験があり、保育園のお迎えを罰金制にして、6ー10回遅刻する人に対して罰金の有無をつけたら、罰金をつけたら2ー3倍になって、罰金ルールを辞めても遅刻は減らなかった。経済的な動機付けに依存すると内発的な動機付けが戻らなくなるということ。お金で解決できると思うとお金ですませてしまう。

地域通貨はこれを解消できるのか
いろんな時代によっていろんな役割のお金がある。地域通貨とは、法定通貨ではないが、コミュニティ内で法定通貨と同等の価値あるいは異なる価値があるものとして発行されているもの。

①紙幣型:お金と同じように使うもの
②タイムダラー方式:Aさんが働いた1時間とBさんが働いた1時間を同様とみなすもの
③減価する貨幣:腐る貨幣(特定の地域内にて流通していて、無利子またはマイナス利子(=腐る)ものがある。)
④LETS方式:ローカルエクスチェンジトレーディングシステム(通帳型)

事例1)紙幣型:バークシェア
紙幣型で、90セントで1バークシェア。地元の信用金庫で交換できる。10%のインセンティブがあり、地域の商店と信金が負担している。
街のエリアでしか使えないので、隣町でご飯を食べるよりも地域内で食べた方が1割引で食べれるからできるだけ地元で食べたりお金を使ったりしようというインセンティブがはたらく。地域の中でお金を使うことを促進する。

事例2)タイムダラー方式:労働貨幣
1時間での労働を単位としている。10%のインセンティブがあり、地域の商店と信金が負担している。これはうまくいかなかった。19世紀前半ごろお金の偏りを解消するために考えられたもので、社会主義的発想もあるが、結局みんなサボってしまったり、Aさんの1時間と自分の1時間の価値は違うと言い出したりして成立しなかったりした。
事例3)腐る紙幣:スタンプ紙幣 
スクリップ(減価する貨幣。大恐慌の時代にお金がなくなった地域で使われた。ドイツやアメリカで始まったもの)
お金がないから何かをお金の代わりにしなければいけないけれど、お金を溜め込むとお金が動かなくなるから、動かすための仕組みが必要なのではないかということではじまった。保存の機能(腐らない・価値が減らない)が良くないから、動かすことを促進させるために腐らせるというアレンジ。 
100ドルあったとして、使うためには毎月1ドル分のスタンプが必要になる。なので、毎月少しずつ下がっていく。なのでみんながスタンプを貼って急いで使うので貨幣が循環するとされた。うまくいった。ドイツでうまくいってアメリカにも導入されようとしたが、国が潰してしまった理由としては税金の管理がめんどくさかったから。でも、現代だったらデジタル化で腐るというところを設計しやすくなるので今後できるんじゃないかともいわれている。

事例4)LETS方式:よろづ
誰かに何かしてもらったら、相手によろづを支払う。目安としては1よろづ=1円。通帳みたいになっていて、最初は0スタート。シンプルに何かをしてもらったらあげる・何かをしてあげたらもらう仕組みで、地域の全体のお金を足すと0円になるので、初期コストがかからない。

最初はカナダ、それを元に阿波マネーやいすみで使われている。よろづの場合はメーリングリストも併用していて、ちょっと手伝って欲しい時や何かできることがあったときに投げられるようになっている。

藤野自体にはTransision Twon Fujinoという活動があり、パーマカルチャーを自然に置き換えて、街に応用できないかと模索している。地形的には山梨寄りの神奈川。相模湖(明治時代の人造湖)がある、山・斜面に張り付いたまち。湖があるため工場の誘致などができず、「藤野ふるさと芸術村構想」として30年くらい前に県とまちが芸術を柱に人を誘致すると決めた。(神山と同じ。)新宿から電車や車でも1時間半くらいで行ける距離感。

芸術を柱にするようになってから、外国人の芸術家も来るようになった。
この要因分析としては、リチャードフロリダが書いている都市計画論のLAの事例にもあるが、空き家ができるとアーティストが集まる→アーティストがあつまるとクリエイター→カフェ→プロデューサー→スモールビジネスが起きていった結果としてアーティストが逃げていくという街の活性化プロセスがある。

藤野はアーティストを呼ぶと外国人が来た。アーティストが住む街には変な風貌の人がいるので外国人が来ても排斥されにくいとのこと。(許容度があがるらしい。のでセクシュアルマイノリティも住みやすくなる。)

その外国人の中の一人がパーマカルチャーの概念でやりたいと言って始めた。しかし本人がいなくなってしまったので、日本人が引き継いで20年以上やっているのが今の地域通貨よろづ。

そのパーマカルチャーの導入がきっかけで廃校になった学校にシュタイナー学園を誘致したりして、シュタイナーは8000人の街に400人のシュタイナー教育を受けたい親子が引っ越してきた形になった。この学校によって人口の下げ止まりにもなっている。

今でも廃校を利用したお祭りがあったり、陶器のイベントがあったり、農業関係の企画増え、中山間地域は農業体験と温泉の観光ができてきたり、ビオ市(環境・暮らしやすさ)で人があつまったりと発展している。その流れもあるから地域通貨も導入しやすかった。

また、地域通貨がきっかけで電力活動やイベント、在宅緩和ケアとかもあるので自宅で最期を迎えることができる環境も整っている。昔からあった地元の普通の工務店も流れに影響を受け、自然住宅を建てたり地元の木材と電力と薪ストーブを入れた在来工法の家を建てるようになったりしていった。

これらの変化やまちづくりによって、新しいライフスタイルを求める若年層も海外からの移住者も入ってくるようになり、多様性もあり、平均年齢も若くなるのではないかと言われている。

現在まちでおこなわれているトランジションタウン活動は、従来型の化石燃料に依存した暮らしには限りがあると考え、できる限り地域にもともとある資源を活用した社会を作ろうというもの。実際にこの活動をしていての気づきとしては、一番活用されていないもったいない資源は市民の想像力なのではないかという声があり、市民が自発的かつクリエイティブに解決していけるまちにしていこうとしている。

現代社会は物余り。買わなくてもその気になればなんでも集まってくるので、循環してまちの中でリユースされている。消費喚起社会で生きていると、色々なものが欲しくなるが、喚起されなければ、冷静になればいらないし、意外ともらえることも多いというのを実感しているとのこと。

藤野の地域通貨「よろづ」のコツ

よろづは、通帳方式での取引の仕方なので、何かをしてもらったら、マイナスになり、何かをしてあげたらプラスになる。通帳上の数値だけで交換。

ポイント1:マイナスは気にしない
とはいえ、最初は法定通貨のときの習慣があるので気になるが、「プラスが増える=誰かに何かを与えた」ということで、「マイナスが増える=誰かの技術や知恵を引き出せた」ということ。つまり良いこととして捉えられるようにしている。

ポイント2:価格設定は各々で決める
仮に同じことで誰かがやっていてもそれにあわせる必要性はなく、お互いの合意が取れていてたらいい。

ポイント3:顔の見える距離が大事
ある程度取引ができる距離の人が入れるように。それではスケールしないと言われるが、もともとそういう設計なので気にしない。趣味や特定テーマで切り分けることで距離を関係なく繋げることはできるので、デジタル化世代のメリットではあるが、現時点でこの通貨では物理的な範囲を決めてやっているし、地域通貨だけで売買ができるイベントをやったりもしている。

ポイント4:無理しない!(ということを理解し合う
2000年代に「エンデの遺言」というNHK番組で地域通貨が取り上げられてから日本中で爆発的に広まった。が、2ー3年でバタバタと潰れた。張り切りすぎて疲れてしまったというのがほとんどなので、よろづは事務局がそんなに仕事をしたり無理したりしないようにしている。

実際に藤野で投稿されているのは送迎・ペットの世話・植木・掃除など日常的な頼みごとや、特技を生かしたこと、また熊情報や災害時の道路情報など行政もつかめていないようなことがわかったりもする。(メーリングリストの投稿には依頼以外も混ざっている。藤野に関するものであれば一定の緩さで許容されている。結果みんながそう使うということにはニーズがあるということ。)
1000よろづと1000円とか混ぜて使うケースから派生して、「1000よろづと琵琶」とか「1000よろづとジャム」みたいなものが混ざる物々交換的なものなのかおすそわけとかできることアピールも込みで新しい流れがあったりする。

地域通貨から生まれたメリット:
小商いが増える。主婦のちょっと作ったものを多めに作って売るとか、評判が良かったらもっとやりたくなるとかがあって、宣伝も投稿でできたりするのでやりやすかったりする。

地域の助け合いが生まれる。マイナスがあることは地域に貢献しなきゃいけないと最初気になるが、やっていくうちにプラスとマイナスに意味はなくて、助け合えていることに意味があることを実感できるようになっていく。法定通貨のくびきからとは異なる地域の助け合いにシフトされていく。

人間関係から生まれる豊かさ。人間の幸福度は豊かな人間関係と相関関係があるとされている。そのために地域通貨が活用できるが、コミュニティ内の人間関係が完成してしまうと貸し借りで返ってこなくても良い空気が生まれ、地域通貨は使う必要がなくなってしまう。しかし、それでは新しく住み始めた人にはハードルが高いので、半開き(あえて新しい人が入れるように少し開く・残す)ことが必要なので、入口のために残す・継続している。

めぐりのわ

都市生活は稼ぎだけの暮らし。自給経済だけというのは、実行出来る人は限られてくる。くらし・つとめ・かせぎ3つのバランス三角形の形には個体差があるだろうと考えられ、その人なりのバランスがみつかって、周りの9つの欲求もうまく自分のものをみつけたりするといいのではないか。社会としての正解ではなく個人個人に合った選択肢があるのでは。

感想シェアをし合って、少し質疑応答の時間もいただきました。

地域通貨の最終形態は?
日常の中でみんなが助け合うことができるようになればそれでよし。仲良くなっていくと、使わなくなってくるケースは多い。形式にこだわることは必要ではないし、地域ごとに合わせた役割でいい。田舎社会は、助け合わないとやってられない。なんでも経済効率だけを考えるのではない。

地域通貨にそもそも金額は必要なのか?
1=1で完結をよしとするのは仲良くなってからしかできないから、段階的なところとして一旦金額を置いている。マイナスがあるとプラスにしようと力学が働いてしまうので、いすみでは「マイナス」がいやで、「山」と「海」という呼び方にカスタムしている。
地域内のコミュニティができていてもともと大丈夫と言われることもあるが、実は酒を飲まない人が毎回運転させられていたりして面倒だというモヤモヤがあったりする。だから、一定可視化するのとかは意味がある。

マイナスになるのを不安にならないためには?
そもそも、国家を信頼していない国とかはバラバラの価値で物事を判断できたりすることがあるが、日本は円が強いから何かにつけて円換算する癖がある。それ故マイナスがあると不安になったりする。
単位と仕組みではなく、メーリスの中での「ありがとう」を目にする機会だと捉え、それによって生まれる安心感や助けられる感覚、助けようという気持ちに価値があると実感できたら地域通貨の通帳上のプラスやマイナスは気にならなくなる。

プラスマイナスのバランスが崩れることはないのか?(フリーライダー的な)
一応、プラスマイナスの差は10万くらいまでといってあるが、自分だけ得をしてやろうという人はそもそもいない。仮にフリーライダーが出現し、それが半分超えたら問題にはなるかもしれないが、現実にはそんなことはない。

地域通貨を通して感じる変化は何がある?
善意が育ってきている感覚がある。気負わなくてもできるようになっている。しかし、藤野の純度が他の地域でも同じように成り立つのかは分からない。
ただ、ジーマーランキングで可視化することが中国で成り立っていたり、ある種の監視社会だけどデジタルによって信頼性が高まっていることもあったりする。品行方正さのメリットが可視化されてよりよく生きようとしていくのは面白いのではないか。(UBERの運転手ランキングでレクサス購入の担保ができるケースとかもあるし。)

より多くの人に使ってもらいやすくするための工夫は?
夜の10時までしかML使わないでねーとか、LINEとかFBに変えずにメーリングリストのままにすることでガラケーのおじいちゃんおばあちゃんでも参加し続けやすくなるようにしている。
また、メールの数が増えすぎるのも良くないので、返信はTOでやって、詳細のやりとりを進めるようにしていて、成立・完了したらMLに投げるというルールにしている。

感想
お金の歴史・背景から聞くことで、地域通貨やブロックチェーンの存在意義や必要性がより明確に感じられるとともに、いかに今までの経済が歪んできているかを考えさせられた。
闇雲にこれらの手法に飛びつくのではなく、背景や特性を理解した上で目的に合わせた手段として使っていけるようにしたい。(ちょうどCode for Sakeでも導入検討していたので、改めて目的を整理してもう一度検討し直したい。)

参考資料

https://www.slideshare.net/mobile/ks91020/ks91-bitcoinba20140123




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シビックテックのCode for Japanで働きながら、小児発達領域の大学院生をしながら、たまにデザインチームを組んで遊んでいます。いただいたサポートは研究や開発の費用に充てさせていただきます。