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学校はリソースの使い方を学ぶ場所

こんにちは。まみです。昨日親は環境でしかない、とお伝えしました。子は親の背中を見て育つとは言いますが、結局子どもは親の動向を見て自分自身で小さなことから決断をし続けることで成長しています、ということが言いたかったです。

今日は、学校では子どもは一体何を学ぶのでしょうね?というお話。

子どもは学校で環境を活用するスキルを身に着ける

私が住んでるエリアは、コロナ感染が深刻になった3月以降、なんと1度も学校が再開されていません。サマースクールなどは再開していたりするので、感染対策をするだけのお金がない…という切ないお話でしたが。うちはアメリカの学年で2年生と幼稚園で、かつ英語が第2言語でしかもあまり英語力がないと来たので、本当に困りました。だから、娘が1年生の間、数か月私が授業サポートをしましたが、本当に朝から晩まで親子ともにクタクタになる日々でした。そんなことを乗り越えて、誓いましたよ。できないことはしてはいけないと。だから2年生に進級、息子がKindergartenに入学するタイミングで日本でいう保育園にあたるデイケアがこのオンライン授業に合わせて学童のようなプログラムを提供するということでしたので、即!申し込みました。やはりそうすると、特に娘はメキメキと伸びていきました。息子はなかなか最初はどう学習してよいのかわからなかったようなのですが、最近何とか自分の中でやり方を見つけていたようです。

そこで思うのですよね。やはり学校は必要です!私の能力が低いというのもありますが、親はそういう役割じゃないと思います。これは親が教師だからできるというものでもなくて、学校の代わりにはなれないしなってはいけない。役割が違う。特に低年齢児には学校という空間が必要です。子どもたちはそこで何を学んでいるかというと、「自分に与えられた環境をどう使うか」を学んでいるのかなと思ってます。学校も子どもたちにとって環境の一つ。親も環境の一つですが、家庭はやはり子どもにとってはセーフプレイスであるのが良いのかなと思っています。どうしても甘えが出ますし、その甘えられる環境が必要なので、それは問題ないです。学校や、今回の私のケースですと、学童機関は彼らにとって学びを習得するための環境。誤解のないようにお伝えしますが、学びとは「お勉強」ではないです。その環境にあるリソース、つまり教師や友人、教材などを把握して何をどう使うかを子ども自身が考えるのはそういった環境に身を置いて初めてできるわけで、それが学びです。その環境が子どもにとって合わない場合、不登校やいわゆる問題行動という「サイン」として伝えてくれます。だから親が教師だからできる、とかそういうお話ではない、はずです。まぁ教師ならお勉強そのものはできるかもしれないですけど、私は勉強そのものも重要ですが、そういった環境を活用する術を身に着けてくれることの方をより重視するタイプなので、やはり低年齢児には学校は必要だなと思います。

自主性を育てることの意味

子どもを取り巻く環境を考えることは重要です。子どもが通常学級で合わなければ支援級やフリースクールで全く良いと思っています。逆もまたしかり。先日よりお伝えしている通り、これからは「偏差値の良い大学」(そもそも偏差値って何なのでしょうね)、「大企業への就職」が華のある人生ではなくなります。結果として、そういう道を歩んでいてそれなりに幸せな人生歩む方もいるでしょうが、メンタリティが絶対違っているはずです。より個の内面が重要視されてきます。その上で学校が存在する意義は下記の通りです。

小学校:学校・準ずる場所で環境・リソースの使い方を学ぶ
中学校:自分が進む道を考える期間

小学校は親から離れて、彼らにとっては戦場となる学校で、あるものをどう使うかを考える期間であり、そのリソースの使い方を身に着けたうえで、自分の進む道を考える期間として中学校が存在していると思っています。そう考えると、義務教育が中学までというのは非常に理に適っていますよね。学問を学びたければ高校に進学すればよいですし、就職、わかりやすい例として職人になりたければ弟子入りすればよいというわけです。とはいえ、15歳にしてやりたいことがはっきり決まっているとは限らなくて、その場合は幅広く学べて面白い経験ができる通信制高校という選択すればよいのです。このプロセスがなければ自主性は育たないです。

結局親にできることは下記2点なのかなと思います。

1. 子どものSOSサインを見逃さない
2. 親の役割以上のことをやらない

1は上記に述べた通りですが、2は意外と心配でやってしまいがちなんですよね。それは美しい感情だと思いますよ。でも、やはり親は子どもにとってセーフプレイスなのです。甘えてよい環境なんですよね。学校があまりにダメな組織の場合はその組織に改善を要求することは良いとは思いますが、それ以上はしてはいけないと思います。というより親はそれ以上のことはできないです。合わなければ違う環境を自ら選択する、というあり方なのでその決断を尊重することが大切。何故なら学校は多様な価値観をまとめて形にするわけですので、自分の要求が通るとは限らないからです。なかなか難しいですけど、その分成長を目にすると子どもに対して尊敬の念すら湧いてきますので、是非心にとめてみてください。

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