#028 幸せって何かを諦めることかもしれない。
「幸せってなあに?」と夫に聞いてみた。
「◯◯(わたし)が横にいて、パンくんを撫でてる今だよ。」だってさ。
(パンくんは我が家の愛犬である。)
めちゃくちゃ模範解答〜!!!
コラムか何かを読んで勉強したのか。
はたまたとっさに捻り出した答えがこれだったのか。
どちらにしても愛で溢れている。
こんなこと言って歯が浮かないの、、、?
夫よ、ありがとう。
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昨日は久しぶりにわんわん泣いた。
新たにかかる不妊クリニックの問診票を書いていたのだが、妊娠歴を書くところで手が止まった。
流産したのは 2ヶ月も前のことなのに、全然立ち直れてなかったみたい。
いつ頃妊娠して何週の命だったのか。はっきりわからない。
思い出すのがつらくて、心に蓋をしてしまっているのだと思う。
エコーの写真だって、初孫を喜んでほしいと母に見せたっきりで見返していない。鞄の奥底に眠ったまま。
前に進んだつもりでいたけれど、立ち止まったままだったのだ。
こんな些細な問診にも答えられないなんて。
思い出せなくて、思い出したくなくて、書けなくて、悲しくて、情けなくて、そんな自分を許せなくて、お腹にいた赤ちゃんに申し訳なくて、わんわん泣いた。
見るに見かねた夫が夜の散歩に行こうと誘ってくれた。頭がすっきりするからと。
ほんとはお風呂に入って布団で丸まりたかったけれど、重い腰をあげた。
愛犬が「さんぽ」というワードを聞いて尻尾をフリフリ、行く気まんまんになっていたからだ。
こういう時に空気を和ませてくれるから、犬ってやっぱりすごい。
結果的に散歩に行って良かった。
転職活動中の夫の面白おかしい話をたくさん聞けて、ちょっぴり気分が晴れた。
愛犬も嬉しそうだった。
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そして冒頭の場面に戻る。
ありがとうと思いながら布団に入った。
わたしのしあわせはなんだろうと考えてみた。
優しい夫と可愛い愛犬がいること。
食べることに困らない職についていて、衣食住が整っていること。
五体満足で、知的好奇心の赴くままに勉強できること。
平凡な幸せである。
でもやっぱり子どもがほしい。
わたしは母になりたいのだ。
今の状況に満足できない。
夢とか目標がある方が人生豊かになるはずなのに、どうしてこんなに辛いのだろう。
「何か欠けている」ような、心にぽっかり穴が開いている感覚。
「今が十分幸せ」と思える時は、母になることを諦めた時ではないかと思った。
女として人間として当たり前にできると思っていたことを諦められる時は来るのだろうか。
当分来そうにない。
現状に満足するってむつかしい。
おしまい。
ほんじゃ、またね〜!
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