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7月27日 有能感と仕事が楽しいと感じるかどうかの日本人である私の体感と、推定する海外の事情。

災害国日本で生き延びてきた人の子孫である我々は、日々物事を不安に思う遺伝子を多めに体内に飼っている。

物事が不安である人に育てられた人は物事に不安になるだろう。

そこで自身への有能感が育つわけがないのである。


有能感が、自身の能力が他人と比して抜きんでている、という理由のない感覚なのだとすれば、”心配しい”の遺伝子を飼うわれわれがそもそもそう思うわけがない。

そう思ってしまって、本当は自分は能力がない、ということがあとからわかったら最悪だ、と”心配”するのであれば、そもそも”自分に能力が無い”と自己設定しておいた方が”傷がすくない”。

日本で生きる為の必須スキルが、周りの”心配しい”の単一民族集団のなかで、どのように自身の心の平和を得てゆくか、という方向で得られてゆくのであれば、

いわゆる国際アンケートで、日本人が突出して”幸福ではない”という結果が出るのは、ある意味当たり前すぎるだろう。

幸福ではない、と思っている人々の中で、一人”幸福だなあ”とほよほよしていればどうなるか。

一瞬で袋叩きだろう。

村八分だろう。

いじめられターゲット被ロックオン、だろう。

なので、もし日本人がそういう”不安遺伝子“飼いではなかったのであれば、同じ生活、同じ状況下でのアンケート結果は、もっと”幸せだ”という割合が多くなるに違いない。

客観的には、多分まあそれほど生活はひどくはないだろう。勿論様々な問題はある。

日本人にいわゆる”神”がないことも関係するだろう。いや、汎神、八百万の神はある意味で日本には多く存在する。だが少なくとも一神教ではない。

神と仏とサンタクロースは混然一体。まあ、正直サンタが聖人である、という認識は、ほとんどの日本人にはないだろうが。

ただただアンケート結果を並べて、日本人が幸福だと思っていない、と言っても(まあ事実なのだが)あまり意味がないかもしれない。

むしろ客観的にどう評価するか、なぜそう思うのか、というところを、こういうアンケートはより深堀してほしいところだ。

むろん他の国もさまざまな特殊条件を持っている。
だがここ極東の非ヨーロッパ国の人々と、いわゆるヨーロッパ圏の人々とは、あまりに前提が違いすぎているだろう、と思っている。

(一方で、有能感を毀損されることなく日々生きて、人の為になる、と自身の中で本当に感じている仕事を愉しくやっている、という風な印象を受ける国々の人が、うらやましいなあ、という感じもあります。
税制とかもあるでしょうが、寄付をしたり、広く日々コミュニケーションをしたり、という人生って、いいなあと思いますね、本当にそうであるのなら) 

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。