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河鍋暁斎 / メトロポリタン美術館
3月18日 世界の再構築。
フッサールの現象学の妙諦は、私たちは世界を明証的な仕方で観照することはできないけれど、その「できなさ」を精密に考量するならば、「現象学的意味での現象の全体を所有すること」ができるという反転のうちにある。持てるものを一度放棄することによって、より大きなものを回復するのである。
世界の把握は不可能である、と思っていた。つまり、宇宙の果て、をうまく考えられないからだ。
宇宙が広がっているとして、広がっていく先の「非ー宇宙」が広がられるものとしてあるのであれば、宇宙と非宇宙があるだけで、それがどうした、結局果て問題はわからない、となる。
宇宙が「無」のなかに広がっていくのだとしても、広がられる「無」というものがうまく考えられない。
そこで思考停止してきたが、このフッサールの用法だと、
「果てをうまく考えられない宇宙がある」ということで、定義ができそうだ。
考えられない存在としてある、ということ。
これは「神」も同様であろう。
我々にはうまく把握しつくすことができない存在=神。
フッサールはすばらしい。「できないがある」という概念はNEW FOR MEであった。
(今日はつぶやき程度ですが)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。