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3月3日 文豪たちの自殺。芥川龍之介。


教科書に載っているような文豪は、なんというのか勉強と直結している感じがして、その作家のことを知ることは損であるような気がしてきた。

だがその心理的ハードルを越えてまあ、読んでみれば、なぜ彼らが文豪と呼ばれるのか、が垣間見える。そしてもちろん作家たちは結果的に「文豪」となったのであり、多くは死後の評価であるわけであり、時代時代でみれば単なる流行作家であった、といえるのかもしれない。

たぶん村上春樹も時間が経過すればそうした世界へ行くのだろう。

いわゆる作品からの流れで、良い作品をしってからその関係者を芋づる式に知ってゆく、ということがある。最近では片山廣子(松村みね子)だ。かなしき女王、という珠玉の手触りのある作品、フィオナ・マクラウドという女性名で発表されたアイルランドの幻想譚に接したとき、はるかかなたの過去にこの物語を訳した女性のことが気になったところ、思わぬところでいろいろなつながりが出てきたわけだ。

まずは芥川龍之介。
渋沢栄一に関係する大牧場・牛乳生産者の息子で生まれるが、ほどなく生母が発狂し、その姉妹に育てられる。母は邸宅の2階でひっそり暮らし、求められれば狐の頭をした人物の絵を描いてくれる。

大正の作家、というと、あの白黒写真を見ると幻想の彼方の住人という気がしたものだが、彼が学生時代神田でウイリアム・ブレイクの受胎告知の図(どの図かは不明)も複製を購入したがゆえに新宿までの電車賃がなくなった話や、その絵を額装して書斎に掛けていたこと、

あるいはそもそも芥川は現在の東大英文科にあたる学科の卒業生で、海軍の英語教師もしており、卒論は(関東大震災で焼失し、内容は不明ながら)英社会運動家のウィリアム・モリスをテーマとしているので、なんとなく作風から受ける和風、仏教系という(個人的)印象とはだいぶ違って今はイメージしている。

モリスは1896年に62歳で亡くなっているが、芥川が卒論を描いた1916年からすると20年前の「身近な」存在でもあったであろう。どちらかというとアーツ&クラフト運動がイメージされ、ラファエル前派などともからむ芸術家という印象だが、ユートピアだより、といった著作もあり、総合的な面もあったとも思う。

またロンドン生まれの英国人画家、ウイリアム・ブレイクは1757年に生まれ1827年に亡くなっているので、これも今の感覚よりもより身近な画家であったのだろう。個人的にもかのトマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」の表紙で印象的なブルックリン美術館が所蔵する『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』を知ったことを契機に、彼のものすごい熱量を持った作品群を知り、愛好している身としては、芥川の感性に非常に共感を持つところだ。

印象であるが、ブレイクの作品はどちらかというと旧来のものにはあてはまらない新しい構図の物が多いので、クラシックな受胎告知の構図に当てはまる絵がすぐには把握できてはいないのだが、今後わかったら楽しいだろう。

そう、自殺のことであった。

芥川は様々な要因があり、精神面でも不安定であり、自殺の前の時期には10歳ほど若い文夫人(芥川自殺は35歳)が、死んでいるのではないか、と不吉な予感を得て、2階の書斎に駆け上がる、といったこともあったようである。

1927年4月7日には文夫人の幼馴染で3歳ほど年長、結核を患っていたため結婚していなかったため龍之介の秘書兼話相手であった平松麻素子と帝国ホテルで心中を試みて失敗している(麻素子の通報による未遂)。その後再度帝国ホテルで自殺を試みているようだ。

それから2か月ほど経った7月4日に服毒自殺している。

没後発見された、大学時代の同級生で同じ漱石門下、1916年には「新思想」を創刊した久米久雄宛とされる遺書が、パブリックドメイン、著作権フリーで読めたので、転載してみる。

誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎めない。……
 僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向ふ道程を描いてゐるのに違ひない。が、僕はもつと具体的に同じことを描きたいと思つてゐる。家族たちに対する同情などはかう云ふ欲望の前には何でもない。これも亦君には、Inhuman の言葉を与へずには措おかないであらう。けれども若し非人間的とすれば、僕は一面には非人間的である。
 僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持つてゐる。(僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。それは僕の「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつもりである。唯僕に対する社会的条件、――僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故意にその中にも書かなかつた。なぜ又故意に書かなかつたと言へば、我々人間は今日でも多少は封建時代の影の中にゐるからである。僕はそこにある舞台の外に背景や照明や登場人物の――大抵は僕の所作を書かうとした。のみならず社会的条件などはその社会的条件の中にゐる僕自身に判然とわかるかどうかも疑はない訣けには行かないであらう。)――僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふことだつた。縊死は勿論この目的に最も合する手段である。が、僕は僕自身の縊死してゐる姿を想像し、贅沢にも美的嫌悪を感じた。(僕は或女人を愛した時も彼女の文字の下手だつた為に急に愛を失つたのを覚えてゐる。)溺死も亦水泳の出来る僕には到底目的を達する筈はずはない。のみならず万一成就するとしても縊死よりも苦痛は多いわけである。轢死も僕には何よりも先に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふる死は僕の手の震へる為に失敗する可能性を持つてゐる。ビルデイングの上から飛び下りるのもやはり見苦しいのに相違ない。僕はこれ等の事情により、薬品を用ひて死ぬことにした。薬品を用ひて死ぬことは縊死することよりも苦しいであらう。しかし縊死することよりも美的嫌悪を与へない外に蘇生する危険のない利益を持つてゐる。唯この薬品を求めることは勿論僕には容易ではない。僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品を手に入れようとした。同時に又毒物学の知識を得ようとした。
 それから僕の考へたのは僕の自殺する場所である。僕の家族たちは僕の死後には僕の遺産に手よらなければならぬ。僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した為に僕の家の売れないことを苦にした。従つて別荘の一つもあるブルヂヨアたちに羨ましさを感じた。君はかう云ふ僕の言葉に或可笑しさを感じるであらう。僕も亦今は僕自身の言葉に或可笑しさを感じてゐる。が、このことを考へた時には事実上しみじみ不便を感じた。この不便は到底避けるわけには行かない。僕は唯家族たちの外に出来るだけ死体を見られないやうに自殺したいと思つてゐる。
 しかし僕は手段を定めた後も半ばは生に執着してゐた。従つて死に飛び入る為のスプリング・ボオドを必要とした。(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は現に阿含経あごんきやうの中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲学阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧ろ勇気に富んでゐなければならぬ。)このスプリング・ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。クライストは彼の自殺する前に度たび彼の友だちに(男の)途づれになることを勧誘した。又ラシイヌもモリエエルやボアロオと一しよにセエヌ河に投身しようとしてゐる。しかし僕は不幸にもかう云ふ友だちを持つてゐない。唯僕の知つてゐる女人は僕と一しよに死なうとした。が、それは僕等の為には出来ない相談になつてしまつた。そのうちに僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。それは誰も一しよに死ぬもののないことに絶望した為に起つた為ではない。寧ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ死別するにもしろ、僕の妻を劬はりたいと思つたからである。同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも容易であることを知つたからである。そこには又僕の自殺する時を自由に選ぶことの出来ると云ふ便宜もあつたのに違ひない。
 最後に僕の工夫したのは家族たちに気づかれないやうに巧みに自殺することである。これは数箇月準備した後、兎に角或自信に到達した。(それ等の細部に亘ることは僕に好意を持つてゐる人々の為に書くわけには行かない。尤もここに書いたにしろ、法律上の自殺幇助罪(このくらゐ滑稽な罪名はない。若しこの法律を適用すれば、どの位犯罪人の数を殖ふやすことであらう。薬局や銃砲店や剃刀屋かみそりやはたとひ「知らない」と言つたにもせよ、我々人間の言葉や表情に我々の意志の現れる限り、多少の嫌疑を受けなければならぬ。のみならず社会や法律はそれ等自身自殺幇助罪を構成してゐる。最後にこの犯罪人たちは大抵は如何にもの優しい心臓を持つてゐることであらう。)を構成しないことは確かである。)僕は冷やかにこの準備を終り、今は唯死と遊んでゐる。この先の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであらう。
 我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界である。僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないのである。
 附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下だいぼんげの一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。
(昭和二年七月、遺稿)
芥川龍之介 久米久雄への遺書とされる遺稿

文中のマインレンデル(マインレンダー)はショーペンハウアーに傾倒しているようだが、そのショーペンハウアーはウパニシャッドに影響を受けている。仏陀やエックハルトと自分は同じことを述べている、とも言っている。

エックハルトといえば、異端とされる審査に向かう途中で亡くなった、これも神との同一を説く神父であるし、ウパニシャドや仏陀にもそうした傾向があるだろう。

そして「エトナのエムペドクレス」。ドイツ詩人のヘルダーリンは、詩人エムペドクレスが神との同一のためエトナ火山へエムペドクレスが飛び込んで自死した、という戯曲を創作したという。

このあたり、生の無意味と神との一体化、ということあたりが、この龍之介の遺書から、立ち上る考えであるように思う。

(私見ですが(笑)最後で否定しているようですが、逆に濃密な感じがします)







お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。