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長い長い夏休みの終わりに思い出す子供の頃の話。

2020.8.31 mon 曇り 記

8/31な夕方、ベビーカーにのせたみーちゃんを連れて近所をお散歩中に眠ってしまったので、公園で夕陽をみながら、はるか昔子供の頃の今日を思い返してこれを書いている。


「あーあ、今日で夏休みおわりかあ。
絵日記まだ書いてない。。どうしよ。。」

実際どう思っていたかは定かではない。
でも小学生の頃、いつも夏休み最後の日、宿題の絵日記をまとめて書くという子どもだった。

正直絵日記は、日頃のかけまわって遊んだりすることに夢中すぎて、そんなに面白いものでもなかったのかもしれない。
1日サボると次も書くのが面倒になって、ついつい書かなくなるようになる。

夏休みといえば、早朝ラジオ体操を、近所の公園に言ってやっていた。
体操が終わるとスタンプがもらえる。
でも、僕の記憶では、毎日行ってはいなかった。
朝寝坊して行かない日のほうが多かったようにおもえる。

毎日欠かさず行ったらなにかもらえたのだろうか?
行ってないから覚えてない。

夏休みの宿題ってなぜあるのだろうか?
といつもおもっていたようにおもえる。
たいていやりたくないことは後回し。
あそんでばかりで、親にも「宿題やってから遊びなさい!」となんて言われていた気がする。

宿題も算数や漢字のドリルみたいなものをやらさていたけど、親に言われてからいやいややっていた気がする。

今も宿題とかあるのだろうか?
あるとしたらどんな宿題なんだろうか?

僕が子供の頃とおなじように、算数や漢字のドリルも良いとは、大人になった今はわかる。
それも大事。
だからこうして、文章も書けるようになったし、計算もできるから、日々の生活には困らなくなったから。

絵日記も書いておけば、あのときこう感じていたのかって当時の自分を振りかえるのは面白いと思うし。

でも、でもね、

やはり、こどもが自発的に面白い!って思って行動できるような、そんな宿題があったほうがより良い気がする。

こどもを育てるようになってわかったけど、なにも言わなくたって、おもしろい!やりたいことは勝手にやる。
反対に面白くない、やりたくないことは先送りする。

後々大事だっておもうから大人はあーだこーだいうけど、おしつけたってやらないしね。

だから、

宿題は出しても良い。
でも、やらなくてもよい。
その代わり、自分のしたい!を表現したなにかを作品として出す、それを宿題にするのはどうだろうか?

とくに調べてないからわからないけど、そんな学校があったら我が子を入学させてみたい。

保育園に行ってるあーちゃんは、保育園が大好きだ。
クラスメイトたちと遊ぶことも一人遊びに没頭することも保育園にあるおもちゃや遊具で遊ぶことも。

休日われわれと遊ぶことも楽しそうだ。今好きかどうかは改めて聞かないとわからないけど。

*

僕は夏休みにばあちゃん家に行って、ばあちゃんの畑で取れたトウモロコシを食べるのが好きだった。

だから夏と言えばなに?と聞かれたらトウモロコシと答えると思う。

まあもう夏にばあちゃんのトウモロコシは食べられないのだけど。

給食でもぎたてのトウモロコシがでたらいいのにね。
まあ好き嫌いあるから食べられる子だけが嬉しいってことになるから公平ではないか。

僕の長い長い夏休みも今日で終わる。

とても涼しい。
夏の終わりを感じてさみしい。

当時の自分はこんな思いを馳せることなんてなかっただろうなあ。

大人になったからこそわかる醍醐味かもしれない。

*

我が子へ。

そして、いま少年少女のみんなへ。

大人になるって、子供のときとはちがう楽しさがあるよ。
だからこそ、今めいいっぱいこどものときを楽しんでね。

あ、宿題は出たのならば、やっておいたほうが良いよ。
人に言われる前にね。

おしまい。




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