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Photo by
noouchi
『愛がなんだ』を見返して気づいた、自分の気持ちの変化。
久しぶりに、『愛がなんだ』を観返した。
2019年に公開されて、3年が経った今改めて観ると、少し違った視点で感じられた。
何回観ても、テルちゃんの愛は重い。
あのポジティブさは不気味なほどで、好きな人のために仕事や自分を犠牲にしてしまうところは、なぜか憎めない。
恋をすると、きっと誰もが盲目的になってしまう。
私もテルちゃんみたいに、好きな人のためならなんでもしたいし、自分がどうなってもいいんだ、と思っていた。
だから、3年前に観たときは、そんな自分も許せていたけれど。
時間が経った今改めて観ると『自分の人生もちゃんと生きないとな』と感じた。
映画の中のテルちゃんのセルフで、
「私はどっちかになっちゃうんだよね。『好き』と『どうでもいい』のどっちか。だから、好きな人以外は自然と全部どうでもよくなっちゃう。」
この感覚は、今でも共感する。
私の場合は少し広めで、好きなものや人、大切な人たち以外はどうでもいい、だけれど。
自分の興味のあるもの以外は見えなくなってしまう。
『好き』と『嫌い』ではなくて、『好き』と『どうでもいい』
なんか、『嫌い』よりも、『どうでもいい』の方が優しくない気がする。
『どうでもいい』って、その人のことを知ろうともしていない、ということだよね。
あ、また考え出したらキリがないこと考えてしまった。
この辺にしておこう。
それにしても、岸井ゆきのが好きっていう話し。
読んでくださり、ありがとうございました^^