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放置されることについて、わたしは慣れている【詩】

しばらくお待ちください。係の者が参ります。

という声がするのでわたしは待っています。ところが誰もこないし、何も起こらない。全くの無駄足ではないか、とプリプリ怒っているがこれはわざとである。わざと怒っている風を装っているのだ。恐らくみられているのではないか、と思ったからだ。どこかの部屋で誰かが監視カメラに映っているわたしの画像を。だがしかし、全く無。何も起こらない。わたしはここで一人だけの存在である。わたしの認識について、異議は申しつけない。わたしはひとりだ。

孤独感から孤独のグルメについて考えてみる。あの作品は谷口ゴローではなく、谷口ジロー氏あっての作品なのにジロー氏の功績については、あまりにも蔑ろにされているように思える。谷口ジロー氏の作品を愛するものとして釈然としないものを感じる。

孤独に飽きたのでひとりしりとりをしてみる。アイス雀メダカかき氷りんごゴリラ喇叭パイン飴めんたいこ炬燵ツンドラ拉麺。おっと、んがついてしまった。わたしの負けだ。
負けたので罰ゲームだ。と盛り上がってみたが、ここではわたしひとりだ。

ひとりでいることに慣れているつもりだったが、これはつらい。放置されている自分が情けなくて泣けてくる。わたしはもう四十五なのだ。「しじゅうご」という言葉の響き、これ実にいい。気に入っている。でももう四十五なのだ。放置されることには慣れているが、つらい。

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