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誰のために書くのか

こんばんは僕です。

106記事目です。

マスク暑いししたくないけど、歩きながら歌口ずさんでてもバレないのでそこだけはいいなと思ってます。

今日は毎日noteを書き始めて、見てくれる人も少ーーしだけ増えてきた中で、感じてる気持ちの変化みたいなことを書きます。

3ヶ月とちょっとnoteを書き続けていますが、始めてしばらくはコロナ禍で家にいる時間が増えて、今までしてこなかった自分の気持ちとか考えに向き合う時間が急にできて、感じることも言いたいこともたくさんあったので、色んな人に見てほしいと思っていました。

そもそもnoteをやってること知ってもらわないとただの自分の携帯の中のメモ書き止まりになってしまうので、毎投稿ごとに自分のSNSでもシェアしてたし、「みなさん、見てくださいー!」が強かったです。

ただ、note書きながら途中で気づいたのが、「誰がいちサラリーマンのぼやきみたいなの読むねん」ってことです。当たり前です笑。「こんなどこの誰ともわからんやつの日々考えてることなんて読む?」って気づきました。遅めの気づきでした笑。

最初は調子よかったものの、しばらく続けていく中で「なんでこんなこと書いてんねやろ?」とか、「こんなん投稿していいのかな?」と思うことが何回もありました。「見られんの恥ずかしいな」とか思ったりしました。

本当にそら見られて恥ずかしいやろ、みたいな内容も多々ありましたが。

「なんでこんなことを、、、」って思いながらも、なんとか投稿は続けていて、そんな中SNSのコメントやLINEなんかで、「読んでるよ!」とか「読むの日課になってきた!」とか連絡頂くこともありました。

僕にとってはそれが何より有り難かったです。一番初めはなるべくたくさんに見てほしかったし、「なるべくたくさんの人に読んでもらってなんぼ(ドヤ顔)」とすら考えてました。

でもやっぱりSNSとか発信する術はいくつもあったとしても、一個人のこんなつぶやきなんて基本みない(需要ない)のは当たり前で、自分の知らない人たちが読んでくれるなんて奇跡みたいなことだと気付きました。

僕は最近自分のnoteの記事でも書いてますが、こんな状況になってから「自分の身近な人が、笑って楽しく過ごしてくれてるのが一番いい」って特に強く思うようになりました。めちゃくちゃ当たり前のことだし、わざわざ言うようなことでもないけど、それをより感じるようになったってことです。

どれだけ偉そうな、それっぽい内容の記事書いて、バズろうが(バズってみたい)、たくさんの反響があろうが、自分の身近な人に優しくできてなかったら、それこそその人の書く記事なんて「自分のことを知らない人の読む、自分の仮の姿」でしかないなと。嘘の姿だなって。

note書き始めのは少なからず「バズれー」って思いながら書いてる節もあったけど、今このnoteを続けれてる大きな理由は、やっぱり顔の見えてる人たちやフォローしてくださってる方からの「読んだよー」だし、コメントだし、最上級でいくと「なんか頑張ろうと思ったよ」です。

僕にとってのnoteは、TwitterとかInstagramとは少し違って、「◯◯人にフォローされたい」とかはなくて(なくはない)、人数は少なくてもいつも見てくださってる方の中の"誰か1人でも、僕の書いたなにかの記事で(1記事でいいから)、背中押せてたら"それが何よりです。

自分の考えを発信すること自体はすごく勇気いることだし、毎回記事投稿する前に「こんなんでいいんかなー」て思うし(何百人が見るわけじゃないのにそれでも)、気持ち乗らない日も多々ありますが、身近な人のこと思って今日も書いています。

徒然なるままに。※意味わかってません。

本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

それではまた次回のnoteでお会いしましょう。ばいばい!

今日行けん


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