"環境に左右されず自分を大切にできるちから"を我に

現在進行形のコロナ期間で、コミュニティというか、関わる人が大分狭まった。これは危険だ。私にとっての緊急事態なのだ。



私は一緒にいる人の思考、話し方に染まりやすい。自分が着る上着が染まりやすい。しかもその染料は長く置くと芯までやってきたりする。


これは小学生の時からそうだった。

先生がよく言うフレーズ、大体生徒が「綺麗ごとだ」と流すことをしっかり真に受けて生きてきたからだ。今も大体同じだ。

※しかし共感できない事には共感できない顔をしてしまうし、喜怒哀楽感じたまま出やすい。

大体相手の立場や相手の考え方が分かれば、「なるほどね」ってなるのだ。

(その時は「え?」ってなっても、あとで考えたりいろんな本を読んだりいろんな意見をみていると「そうかあのときこんな感じだったのかな」とか思えるだろうなってなるだろうなって分かるから、愛と共に接していけるのよ。)


でも、会う人が少なくなって処理速度が追い付かなくなってしまって、

:一見、「それは嫌味でしょう」「それは(自分or他人)が嫌な思いをする言葉でしょう」というものを、「こういう考え方だからそういう感じだったのね、なるほどね、仕方ないね」に消化することができなくなるということ

その毒なのか針なのか刃物なのか分からないものが私の手元に残り続けて、私自身がそれを誰かに渡してしまっていることが増えてきたのだ。

そしてそれに後で気づき、Bluetoothで自分に戻ってくる。



じゃあ、そういう人の近くに居なければいい。ということなのだが、人間そうもいかないときがある。

後半のフレーズはちょっと言ってみたかった。

今まで、物理的に距離を置く、ということで対処してきた問題を物理的に距離を置かずして、そして、基本何でも真に受けとり考えがちな自分が対処できる方法があるのか。



今後半年くらいかけて、対処法を編み出したいと思う。



私は自分の好きな私でいれるよう、頑張ってみるからさ、ちょっとキツイなって思ったらすぐケーキ買いなね。アロマとかね。お菓子とか買っていいからね。美容とか健康とか一旦考えずに食べていいからね。機嫌とるためにプラネタリウムとか行っていいからね。

2021/09/08の私が許すから。代わりにゴメンねっていうからね。






こ まめ





ここまで読んでくださったのですか、優し過ぎる…。 多分あなたは凄く優しいので自信を持った方がいい。