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読書「若い読者のための第三のチンパンジー」~肌色が異なる理由と芸術が発展した理由~

先日、NHKで放映されたジャレド・ダイヤモンド氏の「ヒトの知恵」という番組を見ました。そこではアメリカの進化生物学者ジャレド・ダイヤモンド氏が学生たちにヒトの起源、行動の理由を説いており、非常に面白い内容でした。そこで彼の著作”若い読者のための第三のチンパンジー”という本を手に取りました。今回は本書で学んだことを書いていきたいと思います。

・なぜ地域別に肌の色が異なるのか?

アフリカ、ヨーロッパ、アジアと人々の肌の色は異なります。ダイヤモンド氏はその理由について研究されています。
理由の一つとしてその地域別の気候や病気による自然淘汰が考えられます。例えば日差しの強いアフリカや赤道直下に住む人々は皮膚が黒いといったものです。ダイヤモンド氏は赤道直下でも肌色の薄い民族は存在するため、この理屈は弱いと述べています。
一方でダイヤモンド氏は性淘汰が理由なのではないか?と推測しております。性淘汰は遺伝子を子どもに受け継ぐために選択的に交配をすることであり、性的なえり好みの結果として色の違いが生まれたというものです。幼いころから慣れてきた地域環境で培った美の基準によって淘汰されてきたのではないかとダイヤモンド氏は述べています。

(感想)
私はこれまで肌の色が異なるのは気候のせいなのかな?(自然淘汰)と考えておりました。ダイヤモンド氏の述べる性淘汰は大変腑に落ちるものでした。確かに私も(お前が選ぶな!というお叱りごもっともです)ヨーロッパやアフリカなどの女性よりも日本人を選ぶと思うからです。そう考えると、ヒトの外見を整えるということは生物学的にも大切なことなのですね。トレンドにあったファッションをしている人がモテるというのもその理由の一つなのでしょうか?そういった進化生物学の観点からヒトの行動を見るのも楽しそうです。

・なぜヒトのみが芸術を発展させられたのか?

h芸術とは人間固有のものなのか?ということに対してダイヤモンド氏は調査しています。ヒトにとっての芸術と動物にとっての芸術の違いについて以下の3つの点を調査しています。
1つ目は”芸術は遺伝的なものなのか”ということ。アズマヤドリの雄鳥は遺伝子の強さを示すために”あずまや”という芸術的にデザインされた巣を作るそうです。この巣には驚くことに装飾品などもあり、巣内空間をデザインされています。まさに芸術的です。こうした設計は遺伝的なものではなく、学んで得たものだそうです。人間も同様、芸術スタイルは遺伝的なものではなく、学んで得るものです。その意味ではこの点ではヒトと動物は同じと言えます。
2つ目は”審美的な喜びの追求に違いがあるのか?”というもの。これに関しては「巣を設計して楽しいですか?」とアズマヤドリに直接聞くことはできない(当たり前ですが)ため、求めたい解は出ないだろうと述べております。
3つ目は”芸術は生物学的に有用なのか?”というものです。アズマヤドリの芸術には雄が交配相手の獲得を助長するという目的があり、生物学的に有用な役割があると述べております。そうした点で見ると、ヒトもまた音楽やダンス、詩などで相手を誘惑することもありますし、高価な芸術品を飾ることでその人の権威をアピールすることにも繋がるため、動物と同じ特徴を持つといえます。
これら3つの観点からみるとそれぞれヒトと動物は芸術に対して同じような役割を持つと言えます。それではなぜヒトの芸術がここまで進化したのでしょうか?
進化の過程で芸術は別の目的を果たすようになったとダイヤモンド氏は述べています。それは、”情報の表現”(獲物の動物を伝えるために描くといった相手に伝えるためのツール)、”退屈を紛らわす”、”鬱屈したエネルギーをほかに向ける”、”単に喜びをもたらす”といった点です。
「芸術」と「楽しみ」はこれまで無縁だったのではなく、むしろ芸術を楽しむようにヒトや動物の脳内にプログラムされてきたのではないかと書かれています。そうすると「どうして楽しむための芸術がヒト固有のものなのか?」という疑問に対して以下のような推測が立てられます。
野生動物は食べものを探したり、外敵から身を守るために精一杯で余裕が無いため芸術に手を出すことができません。動物も生活に余裕があり、絵具をつくる能力があればおそらく絵を描き始めるようになるのではないか?とダイヤモンド氏は述べています。

(感想)
私も働き方改革で残業が減って以降、蛍光ペンアートという芸術(?)に手を出すようになりました。友人のなかにも鍵盤ハーモニカを新しく買って練習している人もいます。これも上記の説に倣って時間的な余裕が出たことによるものなのでしょうか。
日本の歴史的を振りかえっても芸術を発展させてきた方々は経済的に安定した余裕のある人たちだなと思いました。紫式部や清少納言といった文学者も外敵から身を守る生活とはかけ離れた人たちだったと思いますし、日本絵画を発展させた狩野派と呼ばれる集団もまた有力な大名の絵師として仕えてきた人々です。

経済的、時間的な余裕が芸術を生むという観点はとても面白いですね。20年くらい前におこなった”ゆとり教育”というものも詰込み型カリキュラムを変えることで子どもたちの自発性、創造性を育てるというものでした。そうした時間の使い方は先生に一存される点もあるため、先生方は苦労する点も多いと思いますが、考え方としてはユニークなものだと思います。

今回の新型コロナウイルスの影響で時間的に余裕のある子どもたちが増えたと思います。そのなかで芸術に取り組む時間を増やすことも価値が出そうですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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