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Z世代が脱インスタという話から連想するヨガの話

先日、夫が買った雑誌『WIRED』を何気なく読んでいたら、Z世代から支持を集める新興SNSについての記載があった。
PoparazziやDispo、BeRealといったアンチInstagram、つまり「映えない」SNSがアメリカで大人気。資金調達やサービスを拡大しているそうだ。

これって、飾らない自分でいたい!だけど人と繋がりたい欲求は消えない!なので、素直な自分でいられるSNSが人気だ。ということかしら?


素直。使い古された言葉だが、素直でいることはとても難しい。

インドから帰ってきてヨガ的に素直に生きることを心に誓ったアラフォーと、Z世代のインスタ離れがリンクしているような気がしてきた。
というわけで、素直をテーマにちょっと書いてみたいと思う。

SNSが疲れる理由


画像引用サイト:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000050036.html


各年代問わず、人は常に他社からの目線に意識を向けている。
それもそのはずだ。
学校教育から振り返っても、私たちは人の目を通して自分自身を評価する方法しか教えてもらっていない。
人目を通した自分を気にする生活は地続きでSNS上につながっている。

特にSNSの加工技術は「人の目を通した自分」の集大成だ。
・おしゃれに見せたければトーンを統一し、色見を抑える。
・かわいらしく見せたければわざと白飛びさせてふんわりさせる。
・飾らない自分を見せたければ面白系加工をして元の顔を変化させる。
などなど、あらゆるパターンが存在している。
それでいて、過剰に自分が出すぎることをしてはいけない。
「調子乗ってる」とか「痛いやつ」といわれてしまうからだ。
SNSをあやつる若者たちは、日々自分自身を演出し続けた。

そして、当然のように疲れた。

飾らない自分を演出するのではなく、本当に飾らない自分を見せたいという欲求が生まれる。
その欲求に応えるように、他撮りしか載せられないSNSが誕生したのだろう。
かといって、ハードコアだけ整えても、本当に素直な自分をさらけ出すことは可能なのだろうか?

素直、をヨガ的視点で考え直す

さてここで問題です。
「人の目から見た自分」という二次元的な視点しかもたない状態の人間が、自分の心の声に素直になれるでしょうか?

天才クイズの博士

答えはノー!!
いつでも基準が他人である限り、本当の素直さを手に入れることはできないと私は考えている。

実はヨガ哲学の中に素直、という題目があるので、それについて解説したい。
ヨガの八支則という実践用法があるのだが、その中でサティア、という考え方がある。
真実・正直という意味で、嘘をついてはいけないと訳される。
実際は否定系のニュアンスよりかは『いつでも自分の心に素直でいなさい』という肯定的な意味合いの方が強い。

この自分の心に素直になるためにまず必要なのが非暴力・アヒムサだ。
絶対に自分を傷つけないぞ、という前提がないと成り立たない。
これは単純に肉体的な傷だけの話ではない。

例えば悲しいことがあったのに「これくらい大人だから我慢しよう。」
くたくたに疲れていても「これだけやっちゃおう。」
全然好きじゃないのに「私のこと好きって言ってくれるし付き合うか。」

これらは日常的によくある光景だ。
大人だもの、人前で泣くべきではない。
やることをきちんとやらないと、ほかの人に迷惑をかける。
こんな私のことを好きって言ってくれる人は貴重だ。

上記の行動は他人目線から見れば適切だが、すべて自分を傷つける行動である。

悲しい時に悲しみの感情をそのまま受け入れないのも
疲れている自分に鞭打つ行為も
望まない相手との性交渉も
すべて自分への暴力行為と同等と考える。

自分目線での非暴力、というベースがなければ「真の素直さ」は生まれてこないのだ。

ヨガは基本、自分の内側を圧倒的に信頼し、常に丁寧に扱う。
たとえ他人から「?」と思われても、大切な自分を雑に扱ったり、嘘をついたりしてはいけないのだ。
それって甘やかしとは違うの?なんでそこまで自分が大切なの?という疑問が浮かぶので、それについて解説したい。

内なる神とつながる


「はいはい、神でましたよ、スピは勘弁してくれよ~」
とか言わないで最後まで聞いてほしい。
ここで私が言いたい神とは、内なる神聖さと置き換えてもらってもよい。

ヨガでは、というかネイティブアメリカンとか心理カウンセリングとかあらゆるシーンでいわれていることがあって、
それは、自分自身と深くつながることで、自分の中に純粋で完璧な部分があることに気が付くことができる、ということだ。

自分の心にある純粋さこそが内なる神聖さであり、この神聖さは誰の目からどんな評価を受けようと、揺らぐことのない絶対的な強さをもっている。

結局我々は宇宙でワンネスで・・・とかそういう話になるともうめっちゃ長くなるのでそこまでは広げないが、
まずこういった神聖さが自分の中にあるんだな、自分はちっぽけな存在ではないのだな、ということに気が付かないと自分自身を本当に大切にすることができない。
自分を大切にしてこそ、本当の素直さを身に着けることができると私は考えている。
余談だが、自分を大切にできない人は他人を大切にすることができない。

素直さを身に着けるためのヨガ

まず内なる神に気が付くためには身体のコントロールから始めるのが手っ取り早い。
ヨガではいろんなポーズがあるが、すべて非暴力を前提に動いてみるといいだろう。
先生のようにポーズが取れない場面で
「体が硬いの恥ずかしいし、できるふりしよう」と無理してポーズをとる人が多い。
しかし、こういう気持ちがあるとケガをするし、現時点の自分を"できない”認定しいるので、暴力的だ。自分を傷つけている。
たとえ先生と似ていたところで、そのポーズは全く完成していない。

まずはそのままの自分を受け入れ、次に素直に気持ちがいいと思う角度でストレッチを加えていく。
こうやって出来上がったポーズは、見た目が全然違っていても完成しているのだ。

手をつく位置、足を置く場所。ひとつひとつを自分の体に正直に動かすことが、心の声を聴く練習になっていく。

ちなみにヨガは呼吸が大事、とよくいわれるが、それは呼吸が身体の声のバロメーターの役割を果たしているからだ。
呼吸が楽かどうか、を念頭に置いてポーズをとってみてほしい。

Z世代が本当に素直になるために


Z世代だけでなく、団塊の世代だって、ミレニアム世代だって誰だって、もう自分を演出することに疲れている。

特に若い人たちは感度がいい分、演出的な自己表現以外にもっと大切なことがあると気付き始めているのではないかと感じている。

新興SNSといったハード面だけでなく、もっとソフト面での素直さを育むアプリなんかが人気が出てもいいのではないか。
ハタヨガやメディテーションなんかがもっと若い人たちが気楽にできるといいとも思う。
多分儲かる話ではないから普及しないんだろうな・・・。

(私は儲からなくていいから、もっとこういう話をテーマにヨガをしたいよ)

最後に

私の周りに若者が少ないので、実際の10代後半から20代の方たちと非暴力や素直さについて話をしてみたいな、と思う。
それと同時に自分自身がインドに行くまでまったくもってこの二つの原理を実践できていなかったという「しくじり先生」的なエピソードももっと伝えていきたい。
大人に片足突っ込んだ今こそ、素直さを考え直してもいいのかもしれない。

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