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年賀状、スルーじゃなくて送りたい人だけに送ればいい。

クリスマスも終わり、一気に街は年末モードになった。

スーパーに行っても昨日までは、やれチキンだケーキだオードブルだと浮かれていたのに、たった一日経っただけで正月飾りだおせちだお年賀だとすっかり景色が変わっている・・・。慌ただしいですね。そうこうしているうちに、もう来週は来年なんだわ。

そして、年賀状もそろそろ出さないと元日に届かないのであった。

ここのところ「忘年会スルー」やら「年賀状スルー」やら、いろいろなスルーが話題になっているが、年賀状に関しては私は一応書く派。

ただ、年賀状をスルーしたいのは単に書くのがイヤとか忙しいとかという理由だけではないんだとも思う(個人情報の問題だけでもないと思う)。今までは「出したくもない人に出さないといけない」義務感が常につきまとっていた人も多いのでは。だから一気にスルーしちゃおうと。

この「出さないといけない」というのがまた、年賀状独特。なぜ出さないといけないのか? 義理? 出さないと失礼にあたるから? 何か仕事につながりそうだから?

昔は確かにそういう一面もあった。でも、いろいろなコミュニケーション手段ができた今、年賀状を出すということに大きな意味はなくなっているのかもしれない。

私はというと、年に一度の年賀状書きがキライではない。年末の忙しい時期に、自分に関わった人を思う時間が少しだけできる。特別に用事はないけれど、その人のことを考えながらひと言を添える。この時間は結構好き。

年賀状を書くことは、ハガキの向こうにいる「その人」を思い出すこと。だから単に「年賀状を投函する」という行為ではなく、そこまでの過程に意味があるんじゃないかと思う。

今は印刷されたハガキを使うことが多いが、宛名は手書きにして、何かひと言は書くようにしている。まあ「今年こそ会おうね」と言いつつ実現しないまま十数年経っている「年賀状だけの間柄」の人もいるのだけれど。

今は、ダンナの分を含めてもせいぜい20人程度にしか出さなくなった。年賀状を出したい人にしか出していない状態だが、それでも充分。送りたい相手にだけ送ればいいのだ。完全スルーの必要は私にはないみたい。

少し前に「年賀状は、贈り物だと思う」というコピーがあったが、ハガキを前に「この人、今どうしているかな」「学生の頃、こうだったよな」「もうお子さんは大きくなったかな」などなど、相手のことを考えつつ書いている時点で、やっぱり贈り物なんだよなと思う。完全な自己満足だが、それでいいと思う。

「あけましておめでとう」を言うだけなら、今はSNSの方が圧倒的に便利。でも「積み重なった時間」や「返事が来たうれしさ」は年賀状ならではじゃないだろうか。

あとは、私らの年代になってくると「安否確認」「健康状態の報告」なんていう側面もあるのだ(苦笑)。

さて、今年もあと5日。いい加減に年賀状、出さないといけないです!

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