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年相応というか「私相応」でいたい

「あなたはもっと20代っぽくさ、向こう見ずに生きたらいいんじゃない」
年上の先輩とサシで飲みに行った時、将来どうするの、という話をしているときに言われた。
逆に「20代後半の割には幼い思想を持っているな」と自分で思っていたので、そう言われた時は少し拍子抜けした。
現に私は27で、母が私を産んだ歳と同い年。先輩も同じ年齢で第一子を妊娠したらしい。
すでに誰かを育てるフェーズに入ってもおかしくない年齢だ。

”自分以外の誰かを中心にした人生”に移行するのは、ひとつ大人になるように感じていた。いのちを育てる、という大きな責任を遂行する覚悟がその人がちゃんとした大人である、分かりやすいしるしだと。逆に言えば、自分のいろんな欲が弱くなって、”子どもが欲しい”という気持ちが勝った時が私の大人分岐点だと考えていた。
とはいえ今は「全然まだまだ子どもでいたい!!やりたいこと多すぎ!!」という気持ちで、それを正直恥じる自分もいて、だから焦って迷ったり物理的に動いたりもした。心よ大人になってくれ、と願うように。

結婚だってそうだった。私一人でいる気楽さに飽きて、人に心をささげられるようになったら結婚したくなるもんだと思っていた。
でも、そもそも早めに結婚に踏み切れたのは、”気持ちが落ち着いた”じゃなくて、この人とならいい意味でもっとデンジャラスに過ごせそうという冒険心と安心を同時に持てたからでもあるのだろう。
そして、結婚してから子どもの頃以上に私のしたいことを楽しめている。(もちろん、楽しみたいものの幅が広がって責任も生じる分しんどくなる、ということはあるけれど)
だから、子どもの時より子どもだなと自覚しているし、その点で「私たち夫婦ってちょっとへんな夫婦なのかな」とも思っていた。
でも、子育ての良さと大変さを語る先輩の話を聞きながら、ようやく私の心はいったん定まってきたように思う。


言ってしまえば、子どもを持つということも、いうなれば個人の「ほしい」というこども感情のひとつなのかもしれない。
私を大人にするのは、私の選択そのものではなく、どちらかというと環境とそれに向き合う自分の姿勢だ。
ちゃんと私は私に向き合い続ける必要がある。焼きまわした言葉かもしれないけれど、今一つ一つを大事にすることが未来をつくると信じたい。

私が計画立ててその通りうまくいったことなんてそもそもそんなになかった。私はそれをちょっとあきれながら、でも楽しく昇華できる力がある。
計画立てずに、うまいこと運命にゆだねて、走っていこうと思う。
最低限、今好きに生きることで周りに多大な迷惑をかけない程度の分別は多分あります。それが大人であるということかも!大丈夫、全部どうなっても、走っているのが私だから、なんとかなる、というか最高に違いないよね。

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