父が見た風景 あの夏の日。。。
父は昭和2年生まれ、戦争を体験している。
父は、ある年の お盆に 戦争中に聞いた 忘れられない音と
終戦の日の光景を してくれた。
その音とは 人の首を切る音だ。
B29からパラシュートで落ちてきて、木にかかっていた
アメリカ人が木から降ろされ、首を刀で切られるのを、父は見た。
その音は、
濡れたタオルを ハサミで切るような音だった、という。
父は、暑い日にタオルを濡らして 首に巻くたびに、その音を思い出し
背中に、ぞくっとする 寒気を感じると、言った。
そして 終戦の日の話は
私の中で まるで 映画のように 映像となっている。
父は、学徒動員で北海道に派遣され、そこで腸チフスになり、
40日間、高熱にうなされ、皮と骨だけになった父は
迎えにきた自分の父親に、おんぶされて帰郷した。
8月15日 昼前
父は 電車に 乗って 病院に向かっていた。
電車の中は 人がまばらで、電車は田んぼの中を 走っていた。
ボックス席の 窓際、進行方向に 父は 座っていた。
電車の窓からは、穂を実らせ 頭を垂れしはじめた稲が広がり
戦争中であることが 嘘のようであった。
爽やかな風が 父の顔にあたり のどかな時間が 流れていた。
遠くで 唸るような 飛行機の音が 聞こえた。
B29が飛んできている、、、しかし、大した音ではない と
父も 電車の中の人達も思い 誰も 慌てる様子もなかった。
ボックス席には、父と同い年ぐらいの男が一人、座っていた。
彼は、リュックから おにぎりを出し、
美味しそうに、おにぎりを 食べ始めた。
彼が 二口目を食べた 次の瞬間
空から、いきなり 雷のような
ゴーーーという音と共に
バキバキバキ、、、
だだだだだだだだだだ、、、という音がなり、
父の目の前に座っていた彼の 頭蓋骨に弾丸が貫通し、、
彼の口から 米粒が飛び散った。。。
その人は、ばたりと倒れ、、、
のどかな田園を走る車内は 赤と黒の 地獄と化した。
そして、間もなく、8月15日の正午を 迎えた。
ある年の 終戦の日、
父は、テレビで 終戦記念の式典が 流れる中
母が作った おにぎりを 一口食べ、
「うまくない。」
と言って、皿の上に置いた。
お盆には、台所のテーブルに 母の作った
おにぎりとおはぎが 皿に置かれ、ラップがかけてあるのが
我が家の常だった。
母は、お盆休みには、デパートに行く。
お嬢さん育ちで、脳天気。デパート、買い物が大好き。
商売をしていて、滅多に買い物に行けないが、
お盆だけは、いそいそと、電車に乗って 出かける。
父は、出不精で、仕事と読書、酒以外に興味はない。
学者肌なのに、家業を継いで、商売をしていた。
本当は、寂しがり屋で、誰かと話をしたいが、
酒の力をかりないと、おしゃべりができないタイプだった。
父は、母が、たった一日だが、家を空けて、いそいそと出かける
お盆休みが 好きではないことが わかっていた。
母が 夕方 沢山のお土産を持って 帰ってくると
台所は ぱあっと 灯りがついて 明るくなる。
お菓子や服が 溢れんばかりに 紙袋から出てくる。
私と姉は、その紙袋を開ける瞬間が 大好きだった。
父は、その様子を 背中で感じながら、酒をちびちびと飲み始める。
酒の肴には、母がデパ地下で買ってきた 佃煮や小魚。
父は、お盆には いつもよりも 多めに 酒を飲む。
顔を 赤らめ 口元が 緩みだす。
父が、「俺は、このおにぎりが好きではない、」と言うと
母は、「お昼のおにぎり食べてないわね、」と言って、
刺身をテーブルに置く。
すると、父は、、、しゃべるのを辞めて、刺身に箸をつける。
母も、朝早くから出かけ、沢山の荷物を持って疲れてる。
もうすぐ始まる「懐メロ」の番組をゆっくりと見たい。
しかし、父は 椅子にあぐらをかいて 酒を催促する。
母は、椅子に座り、居眠りをしながら、父の話を聞く。。。
「懐メロ」が始まり、父は、残ったおにぎりを食べ、テレビを見る。
これが、我が家では、何年も繰り返された お盆の光景。
なぜか、父と母が亡くなってから、お盆になると
その光景が、鮮明に思い起こされる。
不思議だ。。。
父の戦争中の体験と 終戦の日の話を、最後に聞いてから、
もう、30年以上は 経っているかもしれない。。。
思えば、私は、父から聞いた話を、
誰にも 話したことがない。
なぜだろうか。。。
聞いた相手が どんな反応をするのかが 怖った。
そして、父の苦しみを 追体験することを恐れていた、のかもしれない。
しかし、私は、子供が独立し、孫がいても おかしくない年になり、
今日、この日、
父の沈黙が 言葉となり、強くなる。
戦争は、しては いけない。
父が聞いた あの音を この世界に 響かせてはいけない。
父が見た あの光景を この世界に 広げてはいけない。
人間という動物は、生殖機能が衰えた後も 生き延びる 特異な動物。
それは、体験を伝承するという役目があるから、と聞いたことがある。
そして、 人は言葉と いう道具を 持っている。
その言葉を 使う能力を 育むことも 出来る。
コロナ禍中、大雨による被害が各地で出ている 今日。
TVでは、2年前に我が家が 洪水で半壊した時と同じような 光景が
映し出されている。被害の光景は なぜが とても似ている。
未曾有の日々を 未来への不安や 過去の恐れに、捉われることなく、
生きるには、
過去からの知恵を 未来へと繋ぐ手が 必要なのかもしれない。
その手とは 特別な手では ない。
「平和」は 私達 ひとり ひとりの ちいさな手を 求めている。。。
私の手は 皺がいっぱいで 小さい。
しかし どんなに 皺だらけでも 小さくても 差し出せば
次の時代へと 繋く襷の一部になる。。。
父の体験と 私の言葉が ひとつの手になる ことを 願いながら。。。
8・15・2021
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