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人が怒るとき -私が夫婦喧嘩から学んだこと-

先日の投稿↓の中で、夫婦喧嘩の話を出した。

結婚してから10年超。

夫婦お互いの調子の悪いとき、たまに、些細な意見の相違から、激しい言い争いになることがあったのだが、その度に仲直りはしてきた。

具体的には、意見の食い違いに関して「言い過ぎたこと」を、どちらかが謝り、もう片方も、それを受けて謝り返し、「仲直り」「歩み寄り」出来た、とする終わらせ方であった。

しかしそれは、根本的なところでの解決にはなっていなかったのかもしれない。

最近はそういう意味で、同じようなことで言い合いになり、回を重ねるごとに激化しているような流れになっていた気がする。

だから、娘に後光が射して見えたときの喧嘩は、お互いに、これで夫婦という形を続けていけるのか、という話まで出しながら、かなり突っ込んで真剣に話し合いをした。

どうして怒ったのか。

怒り返したのか。

イラついたのか。

嫌なところを突いたのか。

そもそもの原因を、一つ一つ順を追って考えていった。

お互いに、感情的なものを出しきったあとでもあり、気持ちを高ぶらせることなく、話をし、冷静を取り戻し、睡眠を経て、時間を置くうち。

「私たちは、怒る直前、お互いがお互いの言葉で、傷つき、傷つけているのかもしれない」

その本質の部分が、ふんわりと、私の心に落ちてきた。

意見の食い違いの内容自体は、お互いの怒りの本質ではなかったのだ。

自分自身も相手も、会話の中での相手の言葉や言い回しを、相手が意図した言い方とは別のニュアンスで受け取り、自分が傷つけられた、と思い込んで、怒ったりイライラモヤモヤしていたのだ。

傷ついた、傷つけられた、と感じた相手の言葉や言い回しは、言った側からしてみたら「全くそんな意図(傷つけるつもり)で言ったわけではない」ものだ。

ということは、自分がそうなのであるから、相手も同じなのである。

なるほど。

怒っているときって、人は傷ついているんだな。

そして、イライラして怒りが湧き上がっているとき、自分が傷ついた、傷つけられたんだ、と感じていることに気がつけていないんだな。

そこから怒りが生まれていることにも、気がつけていないんだな。

そう思った。


相手の言葉が期待していたものと違ったとき。

よくわからない怒りが自分の中に沸き上がってくるとき。

あれ?どうして私は今イライラして怒っているのだろう。

そうやって、相手に得たいの知れない怒りと共に返答をぶつける前に、自分の心と向き合ってみればいいのかもしれない。

「あ、今の言葉、ちょっと傷ついたな」

それを真っ直ぐに、素直に相手に伝えれば、「あれ? いや、それは全くそういうつもりじゃないんだよ、こういう意味だよ。ごめん、言葉が足りなかったかな、言葉選びが悪かったかな。」

と、すぐにボタンの掛け違いを正せるのかもしれない。


そして、相手の言葉やニュアンスを、人生の中で脳が作ってしまった「変な色眼鏡」をかけて見てしまわないようにすること。

自分が生涯の伴侶として選んだ人のベースを、信用してみること。

その上で、もし傷ついたと感じたのなら、それがどういうことなのか、真偽を確かめること。

怒る前に出来る、大切なことかもしれない。

これが、夫婦を始めて10年以上経って初めて、今回私が学んだことである。


自分のことも、相手のことも、娘のことも同じように大事にしていくための大切なこととして、基本として、プラスに意識していきたい。

私たちの夫婦の歴史の中で、大切な節目となる、意味のある喧嘩が出来、無事夫婦と家族を続けていけることに、幸せと感謝を感じつつ。

サポートしていただける、というありがたみ、深く心に刻みます。 子どもに繋いでいけるよう、子どもにいろんな本を買わせていただくのに役立てようと思います。