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慣用句を慣用できていなかった件

私Marniは、つい昨日まで「語るに落ちる」の意味を間違えて把握していたことを、ここに表明し、つつしんでお詫び申し上げます。

しかし、日常会話において、そしてこのnote投稿においても、私には「語るに落ちる」を用いるような高尚さもなかったため、他の方々を惑わせ、いぶかしませるような事態にならなかったことは、不幸中の幸いでありました。

* * *

さて、みなさん。

「語るに落ちる」という慣用句の意味、しっかりと説明できますか?

私は「語るに落ちる」を昨日まで「語るほどの価値もない」みたいなニュアンスかな、と、本当にふんわりとしか把握出来ていませんでした。

自分がアウトプットする場面では、たぶん一度も使ったことはないのだけれど、

たとえば、

「とてもすごい人だと思っていたのに、裏でそんなことをしていたなんて…あの人も語るに落ちたな…」

というようなところで、

プラスの印象だった人が、マイナス印象の要素によって、急に価値が落ちてしまう、語るほどの価値がなくなった存在になってしまう、というニュアンスで読んでいた気がします。

でも、実際は…

「問うに落ちず 語るに落ちる」の後半部分だけが略された言葉で、

「質問されている時は警戒して秘密を守っていても、自分から話をする時に、うっかり本当のことを口にしてしまうものだ」

という意味だったのです…

(もちろんnoteで文章を書いている方々なら、知っていて当然!な方がほとんどだと思うのですが、「おいおい、知らなかったのかよ…」と思っていいので、もう少しお付き合いください(笑))

だから、さっきの「すごいと思っていた人」も、「そんなことをしていたなんて…」の「そんなこと」部分のマイナス要素を、

あの人、自分からうっかりしゃべってしまった(自爆した)んだな…

という意味で書かれていたということを、私は、この平成最後の年に、ようやく理解しました…

まぁ、自分からついつい話に乗ってうっかりしゃべってしまった「あの人」は、その秘密が知れわたってしまうことにより、マイナス印象が強くなり、結果、「あの人すごいよね」という話題に上らなくなる、という事態にはなるかもしれませんが。

でも、「語るに落ちる」は、その先のことを話しているわけではなく、あくまでも「うっかり自爆しちゃった」事態を言っていただけでした。

この間違い、令和に持ち越さなくてよかった…そう思います。

* * *

それにしても、こういう慣用句って、受験のために習うことはあっても、小学校では、一部の簡単なものしか習わないもので、いろんな本や文書を読んだり、周りの人が使う言葉を聞きかじって、それぞれが自分自身で身につけていく類いのものだと思います。

その過程で、すぐに辞書を引いたり、ネットで調べたり、確かめたりせず、なんとなくの自分なりのイメージ、解釈で読んで終わらせているものが、実は結構あるのかな…そう感じました。

今回の「語るに落ちる」に関しては、私だけかも知れないですが、慣用句の誤用や、意訳での使用が、だんだんと世間的に数が多くなっていって、次第に言葉の意味が変わっていく、増えていくことって、日本語文化だけでなく、他の言語文化でも、あるものなのかな、とも思います。 

「言葉」って、そういう意味で、生き物というか、変化し続ける面白い存在だなぁ…と思います。

* * *

それはそうと。

慣用句というのは、慣習的に用いる句というくらいですから、よく使っているはずの言葉なのかもしれませんが。

「語るに落ちる」という言葉、私、全然アウトプット出来ていなかったな、というのも私自身の中での気になりポイントでした。

(でもまぁ、間違えて認識していたので、使わなくて正解でした(笑))

慣用句、こうしてnoteに文章を上げている者として、これからはもう少し真剣に、その意味や、歴史や文化に伴う変化を含めて、掘り下げていきたい、そう思わされました。

娘との勉強、全教科、しっかり?ちゃっかり?自分のものにしていきたいです。







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