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「気を遣う」ってこと 真っ直ぐな気 丸く包み込む心 -1-

note感想文というハッシュタグ企画が始まり、たまたま最近書きたかったテーマに関連した、白花さんの素敵なnoteに出会えたので、こちらに貼らせていただく。

白花さんが遭遇されたような「気を遣う」に関して、自分視点メインの身勝手な感覚を持つ人々は、私の子どもの頃から今までの間の、どの時代、どのコミュニティの「人間関係」にも存在した。

人間の社会は共存で成り立っているから、その日々の暮らしに、「人間関係」というものは切っても切れないものだ。

そして、私たちの悩みやつまづきの理由の多くは、その「人間関係」にあるだろう。

さまざまな個性があり、さまざまな価値観、状況、環境がある中で、すべてにおいてwin-winの関係は成り立たない。

でも、なるべくなら、win-winに近い形になれる「人間関係」を造りあげたい。

win-winの関係を築くためには、どうするのか。

「気を遣う」

相手に対して、相手が心地よく居られるように配慮する。

相手が良いと思える状態にする。

私は今のところ、「気を遣う」をそういうふうに捉えている。

「人間関係」において、みんながみんな、お互いに「気を遣い」合えれば、世界中、なかなか良好な暮らしが出来そうな気がする。

しかし実際は、どうだろう。

個人個人の、とても素敵なwin-winはあったとしても、それだけで構成されているようなwin-win世界は、どこにも存在しない。

それだけ「気を遣う」ということが、難しく、また人によって捉え方も、取り組み方も違うことだからだ。

相手の「心地よい」ポイント、「良い」と思えるポイント、それを見極めることは、容易ではない

「気を遣う」ためには、相手が心地よいと思えるようにする、相手が良いと思えるようにする。

じゃあ、そのためには、何が必要か。

その人について目を配り、観察し、関わり合い、話を聞き、話し、知る。

そうして初めて、その人の本当の意味での「心地よい」ポイントを掴むことが出来るのではないだろうか。

しかし、毎日顔を合わせ、個人的交流の時間が一番とれそうな間柄の家族でさえ、それは容易ではない。

職場では、仕事をするために集まっている集団なだけに、仕事に割かれる時間の中で、それを行うわけだから、なおさらハードルは上がる。

クライアントとの関係も、ミーティングごとに、少しずつ情報をするために得るしかない。

店と顧客にいたっては、一度きり、一瞬の関係性であることも多く、もはや「心地よい」ポイントの見極めなんて無理に等しい。

なんてこった。

多くの人がこのあたりであろうという「暗黙の了解」という「心地よい」平均ポイント

「気を遣う」ために、相手が「心地よい」と思えるポイントを一人一人見極めるには、多大な時間と労力がいる。

だから「気を遣いすぎて、疲れちゃったよ」ということになる。

本当に個別対応して「気を遣って」いきたい相手には、時間をかけて、じっくりと本当の「心地よい」ポイント、さらにシチュエーションごとに分けたポイント、まで見つけていくのも、それだけ人生において大事な存在なら、いいのだろう。

でも、そこまでではない関係においては、時間も足りない、気力も足りない、それが本音だと思う。

そんなとき、みんなほぼ自然に、「暗黙の了解」という名の、ある程度の人が「心地よい」と思える平均ポイントを考える。

そしてそれを元に「気を遣う」。

今までの私の人生においては、8割がた、こんな感じの、まぁまぁ、悪い気はしないよね、させてないよね、な関係が成り立っている、と思う。

残りの2割は、職場の上下関係、客と店の関係、親子関係、年齢、職業、収入、そういったものを、必要以上に「権力」と結びつけてマウントを取り、「気を遣われる」ことが当たり前の受け身オンリー玉座に座ってしまっている人たちとの、アンバランスな関係だ。

「気を遣う」は双方向だと思うのだけれど、そうではない価値観の人たちもいるのだ。

だからといって、2割の人たちにも同じように「気を遣って」接するのを止めたりはしたくない。

しかし、過度の要求には応じる必要はない、とも思う。

相手がwinと感じてくれないばかりか、自分にとっても全くwinではない「気遣い」で、自分を消耗する必要はないのだ。

相手の機嫌が悪くても、それは、その人の問題であり、私が「気を遣う」範疇を越えているはずなのだ。

そうは言っても、もちろん私も、機嫌の悪い人といる居心地は相当悪くて、心は辛かったり悲しかったりムカついたりする。

だから、平気な顔でスルー出来るスキルは、まだまだ持ち合わせていないのだけれど。

ただ、白花さんも投稿で触れていらしたが、相手の機嫌や過度の要求への負の感情に執着し過ぎることは、私もしたくない。

* * *

さて。

すでにこれだけ長くて、さらに長くなりそうなので、また今回も分割して連載形にしたほうが良さそうだ。

次回は、主題の中心「気を遣う」と「心を配る」、同じように感じるけれども少しニュアンスが違うのかな、と感じているところを書いていこうと思う。

つづきはこちら

ここまでのお付き合い、感謝します。










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