見出し画像

口癖アウトプット症の恐怖

中学や高校のとき、授業をする先生の口癖を、何回言ったか、友達とそれぞれ、正の字にして数えたことがある。

「そしたらばー」という先生。

語尾に「~。ねっ。」と必ずつける先生。

「ねっ。」に関しては、1時限の間で120回以上にも上った記憶がある。

学生時代のその行動のせいかどうかはわからないが、私は、人がよく口にする言葉に反応してしまう。

無意識の言語学習

大学のときは、友達の「なんしか」という口癖(これ、方言らしい)に反応した。

自分自身が今まで使ったことがない、聞いたことがない言葉だった、というのも理由だと思う。
言葉を覚えていく過程の幼児の感覚に似ているのかも知れない。

そして、知らなかった言葉に注目すると、私の場合、同時に「言ってみたい」「使ってみたい」欲が、意識の水面下でムクムクと広がっていくようだ。

友達が使っているのを何度か聞くうちに、あぁ「まぁ、なんていうか、とりあえず」みたいな感じのニュアンスであることがわかった。

それがわかったら、脳はもう、次の会話の程よいタイミングで、わりと無意識的に、その言語を、口を使ってアウトプットしてくる。

自分でもビックリする。

博多弁まで飛び出す始末

 一番ビックリしたのは、(それは口癖というより、ただの方言なのだが)同じく大学の1年生の必修体育の時間のことだった。

名前のあいうえお順でクラス分けされた中で、たまたま福岡出身の子が男女合わせて3人もいる環境だった。

体育が始まる前に、グランドでその福岡チームに混じって雑談を楽しんでいた。

3人も福岡出身がいるという安心感からか、3人とも普段よりも自然と語尾に「~と! 」「~と?」がついていて、なんしか「と」が頻繁に使われた会話が行き交っていた。

そこへ、返事をするターンの私の口から、いきなり

「~と!」

という音が紡ぎ出された。

「へっ?!」

一番驚いたのは私自身だ。
「今、私『と』って言った?!」

これは「つい釣られたー」というだけのことなのかもしれないが、「よし、使ってやるぞー!」ともなんとも意識していないタイミングで、本当に勝手に出るものだから、本人の心の準備すら出来ておらず、本当にバカみたいにビックリするので、私にとって、出来れば止めてほしい現象でしかない…

仕事の上司の口癖

ときはしばらく経過し、働いていた頃。

上司があるとき、よく「さりとてさぁ…」ということに気が付いた。

聞いていると、「そうはいってもさぁ」とか「だからといってさぁ」というタイミングで使われていた。

同僚も、今まで聞いたことがないけれど、上司から頻繁に聞くその言葉が気になっていたようで、方言なのかなぁ?と二人で調べてみたこともある。
方言かどうかはわからなかったが、古文に出てくるようなことも書いてあって、おじいちゃんとかおばあちゃんが使っていて、そこからお母さんが使って、という代々受け継がれてきている口癖なのかも、と考察してみたりした。

ただ、飲みの席で、二人から上司に口癖のことを伝えてからは、上司が意識し始めて、あまり使わなくなってしまい、少し寂しさを覚えた。

そして、この「さりとて」に関しては、上司の物まねをするときに、わざと使うことはあっても、私の脳も、なぜか勝手にアウトプットすることはなかったのだ。

それがなぜなのか、当然気にはなったが「まぁ、すでに物まねで使っていたから、それで満足していたのかな」と考えていた。

しばらくして、私の下に後輩が出来た。
上司は別の階にいることが多くなり、私と後輩二人で切り盛りすることが多くなった。

今までの仕事の経験を後輩に伝授する立場になった私は、へたれながらも、慕ってくれる後輩のために、自分なりに一生懸命伝えようとしていた。

そんな折。

私の口から、突然、それは出たのだ。

「さりとてさぁー」

私の脳はきっと、この言葉は「誰かに何かを教えるシチュエーションで使うもの」として認識していたのだ。

だから、私がまだ一番下っ端のうちは、物まねすることはあっても、自然と日常の会話の中ではアウトプットしてこなかったのだ。

なかなか手強い相手だ…

レジの女性の口癖

ちなみに、ここ何年かで私が気になっていた口癖といえば。

毎日のように通っているスーパーに、去年あたりまでいたレジの女性の口癖だった。

その女性は、とにかく何かレジに関する言葉を話す最後に「失礼いたします」を付ける、という癖があった。

「いらっしゃいませ、失礼いたします」
「〇〇カードありがとうございます、失礼いたします」
「袋のご協力ありがとうございます、失礼いたします」
「商品のほう、失礼いたします」
「なすが3点入ります、失礼いたします」
「たまねぎが…3点ですね、入ります、失礼いたします」

「お会計、3,589円になります、失礼いたします」
「5,000円お預かりいたします、失礼いたします」
「1,411円のお返しになります、失礼いたします」
「またお越しくださいませ、失礼いたします」

もう、本当にすべての文章の語尾に、必ずつけるのである。
「失礼いたします」を。

イントネーションというか、しゃべり方を思い浮かべてもらいたいので、イメージ例をいうと、(最近はいなくなってしまったから、わからない人もいるかもしれないが、)エレベーターの案内の方の「上へ参ります」みたいな流暢に、独特の綺麗めな節で、これをすべて読んでみてほしい。

一番最初にこの方のレジに遭遇したとき、とても衝撃だった。
よく噛まずにスムーズに、これだけの文章のあとに差し込んでこれるなぁ、と感心させられた。

と同時に、ちょっと不安になった。
私の脳が、勝手にこれを学習していないかどうか。

幸い私がその当時やっていた仕事は、レジとかお店関連の仕事で、マニュアル的に接客の決まったセリフがあるような職ではなかったため、自分が意識して使わなくても、勝手にアウトプットされてしまう危険性は低かった。

人に関わる仕事であっても、その人ごとに話す内容も違えば、話し方も変わるような仕事だったので、こういった言い回しを使う場面はなかった。

さりとて
今後、もし万が一、このような受け答えをするような仕事に就いた場合。

その空白期間を経て、脳がシチュエーションとともに、この「失礼いたします」語尾地獄を勝手に持ち出してこないかどうか。

それが今、とても気がかりだ。

うん、なるべくそういった仕事は避けることにしよう…
自分の中だけで、そう誓っておく。




サポートしていただける、というありがたみ、深く心に刻みます。 子どもに繋いでいけるよう、子どもにいろんな本を買わせていただくのに役立てようと思います。