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読書日記 親ガチャ3種盛り編


 最近読んだ2冊。少し前に読んだ「汝、星の如く」も含めて、どれも「親ガチャにハズレた子どもたちの、その後の人生」を描いたものだった。意図したわけではないのに、こういうのってよくあるテーマなんだろうか。あと、全部海辺の話なんだよな。これもよくあるんだろうか。

わっしょい



○52ヘルツのクジラたち/町田そのこ
 虐待されて育った主人公に突如救世主が現れ、なんとか人並みの人生を生きていたけれど、救世主が自死してしまい、救世主に救って貰ったのに自分は救えなかったことでなんかもう死にたくなり、海の見える田舎に移住する。そこで虐待されている子どもに出会い、救世主を救えなかったことへの贖罪のつもりで助けようと行動することで、結果的に自分の生きる道を見いだし再生するという話。突っ込みどころ満載のめでたしめでたし系。

○パパイヤ・ママイヤ/乗代雄介
 パパが嫌いだから「パパイヤ」ママが嫌いだから「ママイヤ」とSNSで名乗るお互いの本名も知らない女子高生二人が、会える距離に住んでいると判明したことから干潟で出会う。二人のもうひとつの居場所となった干潟に転がる小さなできごとにポツポツと会話を重ねながら、それぞれが違う世界の相手と自分の境遇を比較し、お互いの言葉や体験をきっかけに自らを縛っていた自分の考えや価値観、世界観を解放していくことで、受動的ではない自分の世界への一歩を踏み出すところまでを描いた一夏の話。自分のステージをメタ認知して次のステージ行く系。さわやか!大好き!がんばれ!

○汝、星の如く/凪良ゆう
 自律できない母を持つ高校生の男女が小さな島で出会い、境遇に共感し恋に落ちる。しかしその出自にいつまでも翻弄され、社会規範のなかで自己犠牲を重ねてゆくことで二人の距離はいつしか離れ、二人の恋は過去のものになり、お互いを失いかける寸前に、ようやく規範から外れて自分の人生を生きようと行動し、自分にとって何が大切か長い年月をかけて自覚する話。重いけど悟りを開いて解脱する系。


 それにしても、これらの小説に出てくる親たちもそうだろうけど、世の中の親たちはよもや自分たちがほんとうに子どもから「ハズレ」扱いされているであろうとは思っていないよな。その辺のズレが、こういった物語を生み出していくのです。よかれと思って一生懸命やっているあれこれが「ハズレ」に値してしまうのつらい。そこから子どもが自力で「再生」するって、これまたつらい。いやでも自ら再生する機会を与えるという点では、長い目で見るとアタリなのかもしれん。深い!
 
 親ガチャてものは、結局、文化によるし時代によるし人による。誰かにとってアタリのガチャは、誰かにとってはハズレで、そのまた逆もしかり。それは「ハズレかどうかは考えよう」ということではなくて、人によって感じ方が違うから、万人にとってアタリの親などいないのではないかという意味です。セクハラと感じたらセクハラだし、感じなかったらセクハラじゃない。尻を触られたのが問題なのではない、お前に触られたのが問題なんだよ!と、いうことなんでございます。
 クジラの中にも「何も与えない親」と「何もかも与える親」という対局の親が出てきて、どっちも悪い親として描写されている。唯一の正解は当然なくて、親と子それぞれが思っている正解と社会で正解と思われていること、それはみんな違うから、社会に適応できるように子どもに会わせてカスタムしよ?ってすべきだという風潮あるけど、その努力の方向性がアタリかは結局わからない。そう思うと、やっぱいろいろと運でしかない。そっかだからガチャってことか。一周回って納得。

 いやそれにしてもですね、このクジラに出てくる悪い親たち、おとぎ話のように悪意しかない!他の物語に出てくる親は、それぞれの価値観があるし、そこにその親たちなりの愛もある。ただそれが、社会規範や本人たちが望むものと違うので、本人たちが苦しむという構造になってる。これわかる。しかしクジラに出てくる親は、ただひたすらなんの根拠もなく非道。あなたがそうすの、なぜ……?もしくは、そもそも描いているものがちがうのかも。「ほしかったのと違うの出た」のハズレに対して、「ポケモンのガチャなのにゴキブリ出てきた」みたいな究極のハズレなのかもしれない。

 わたしは子どもたちにとって良い母なのだろうか、よい母になりたい、とたまに考えるのですが、よく考えるとそもそも良い母とは、悪い母とはなんなのだろう。いつもわたしは何と自分を比較して焦ったり落ち込んだりしているのだろうか。わたしがどんな母であろうと、子どもがそれを吉ととるかは子ども次第。だってガチャなんだもん。だいたいですね、よくわからん幻想と自分を比較して自分を責めているなんて、ハタから見るとうざい。うざすぎる。「いや知らんがな」が止めどなくあふれてくる。お前はどうなりたいんだ!子どもを導くなんてできないんだから、できないことをできないと嘆くな!求められてないものを上から与えようとして勝手に忙殺されてんじゃねえ!お前はお前が楽しいと思うことをやれ!そのために戦え!そして人生は楽しいと子どもたちに見せてやれ!毎日嘆きながら会社に行き、でも嫌なこと我慢してこそ仕事、自分を犠牲にしてあなたたちのために働いているみたいな恩着せがましい空気をほのめかすように漏らすな!!うじうじするな!とっととすすめー!
ぜえぜえ。そんな風に思いました。自分に。はあはあ。

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