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【連載小説】天国か、地獄か。祈りはどっちだ。#4-1

実家から戻ってから、香弥子さんはどこかぎこちなくなってしまった。やはりあの家には連れて行くべきではなかったのではないかと、不安に思った。

年末年始に香弥子さんの実家に挨拶に行こうと話した時、香弥子さんは「待ってください」と言った。

「私の家に挨拶に行くのは、もう少し待ってください」

僕は彼女が、僕と結婚するのが嫌になったのかと思った。実家で、あんな思いをしたのだから。

しかし、香弥子さんは言った。

「私に一度、チャンスをくださいませんか?」
「チャンス?」

香弥子さんは僕の両親をもう一度訪ねて、誤解を解きたいと言う。

「やはりこのままではよくありません…。早いうちにお話して、ご両親にはわかっていただきたいです。笑顔で迎え入れていただきたいです。一人ででも行きます。隆次さんのご両親にきちんとご理解いただけたら…、その後、私の両親に会ってください」

「でもコーランではこうも説いてますよね」

われは人間に、両親に対して親切にするよう命じた。だがもしかれら(両親)が、あなたに対し何だか分らないものをわれに配するように強いるならば、かれらに従ってはならない。あなたがたは(皆)われの許に帰る。その時われは、あなたがたの行ったことを告げるであろう。
http://islamjp.com/quran/quran029-1.htm

「ですが、まだそう決めてしまうのは早すぎます。もう一度話して、それでも理解したくないとおっしゃるのであれば…」

「わかりました。でも一人では行かせられません。僕も行きます」

香弥子さんは僕の手を取って言った。「Inshallah(インシャアッラー)」

僕は東京に出てきてから初めて自分から実家に電話を掛けた。
あのままで済ませられない。今度は僕ら2人で行くから、きちんと話をさせて欲しい。せめてイスラムに対する偏見をなくして欲しい、と。

そうして兄には何も告げずに航空券を取り、年末にもう一度実家を訪れることになった。

* * *

着陸する空港が見えてくると、雪が降っていた。風もやや強く着陸時にほんの少し翼が煽られる。

ゲートをくぐり到着ロビーに出ると、一層空気の冷たさを感じ、香弥子さんは首をすくめた。僕が彼女からもらったマフラーをほどき彼女の首に巻こうとすると「それは隆次さんが」とそっと制す。

雪の強さから電車とバスを乗り継ぐよりタクシーで行くことを選んだ。
車内で僕たちはずっと、互いの手を重ね合わせていた。

家の前まで車をつけ、数寄屋門のインターホンを鳴らすと母が応対に出た。
10日ほど前に来た時より、不思議と僕の気持ちは落ち着いていた。香弥子さんの表情もしっかりとしていた。

玄関で迎え出た母はこの前よりも、心なしか申し訳無さそうな顔をしていたように思う。僕の思いすごしか。

この前と同じように客間に通され、親父が来るのを待った。膝の上に載せた僕の手に香弥子さんがそっと重ね、襖が開いて親父が現れた瞬間にサッと離した。

親父が席に着くと香弥子さんは「お義母様にも同席していただきたいのですが」と言った。それで親父が母を呼んだ。

母が入ってくると香弥子さんは手をついて頭を下げた。

「度々お時間をいただき、申し訳ありません。ただ前回のままではどうしても気が済みません」

母はやや苦々しい顔で香弥子さんを見、頭を下げたまま彼女は続けた。

「確かに日本でイスラム教を信仰している日本人は多くはありません。他の宗教と比べると規律や独特の習慣が際立って見えると思います。また本来あるべき姿ではない解釈で過激派なるものが世間を騒がせた時、日本ではそういった偏った面しか報じられず、偏見を持たれる事が多いと感じています」
「…まず、おもてを上げてください」

親父は静かに言った。香弥子さんが姿勢を正し続ける。

「私たちは家族を愛し友人を愛し旅人を愛し、隣人を愛します。私がイスラム教に魅力を感じたのは、そういった集団・和を重んじるからです。何よりも人に優しく愛の溢れた教えなのです。ですから、前回お話のあったような、隆次さんがムスリムになったからと言ってもうこの家から出ていってもらった方が良いなんていうお言葉、私には耐え難いのです。そんな簡単に家族は切ったり離れたり出来るものではありません」

「しかしあなたもこの前の遼太郎の言葉を聞いて感じたでしょう。うちは息子たちが何より私たちを嫌い、家を嫌っている。古めかしい片田舎の窮屈な家が嫌で嫌で仕方がないんだ。まぁ隆次は遼太郎に "洗脳" されたようなものかもしれないが」

「兄さんが僕に "洗脳" ?」

「そうだろう? お前は小さい頃から他の何も興味を示さず、ずっと遼太郎の部屋に入り浸っていただろう? お前は遼太郎の影響だけを受けて育ったようなものじゃないか」

「それは…、それは父さんが僕に何も言ってくれなかったせいです。何も僕に声を掛けてくれなかったじゃないですか。兄さんには厳しい言葉を掛け続け、それは期待というよりはご自分の支配下とするために、ご自分の思い通りの人生を歩むように、そういう願いで兄さんにはあれだけ言っておきながら。…でも確かに、そういう人生を歩むな、と教えてくれたのは、確かに兄さんです。それは "洗脳" ですか? 違いますよ。助言です」

母は僕の話が硬かったり長かったりするのを嫌うため、途中でうんざりという風に首を横に振っていた。

前回同様に流れの悪くなりそうな空気を、香弥子さんが裂いた。

「厳しいご家庭だったと、伺っております。息子さんお2人ですから、返って難しいことも多くあったかと思います。でもお2人とも他の模範となるほど、とても芯が強くて真っ直ぐで、お強い方々です。隆次さんとは発達障がいのコミュニティで知り合いましたが、苦しい時期を乗り越えて、今は同じことで悩む方のために色々と尽くそうとしてくださっています。隆次さんもお兄さんの支えの元で、だいぶ症状が安定しています。ご兄弟の絆を傍から、本当に強く強く感じてまいりました。そんな立派なお2人も、ご両親なしではこの世に存在しません。どうか互いに許し、認め合っていただきたいです」

そう言って頭を下げた香弥子さんに、親父はため息をついた。

「その言葉を遼太郎にも聞かせてやってくれよ」
「…はい」

香弥子さんは頭を下げたまま返事をした。僕は兄が「はい、わかりました」と言うとは思えなかった。

「香弥子さんと言いましたか。あなたの話はわかりました。私共もあの時は少し言い過ぎたと思います。イスラム教はやはりよくはわかりませんが、知りもしないくせに異端扱いの言動をしたのは、やはり見苦しかったと反省しています」

そう言って親父は頭を下げたので、僕の方が呆気に取られた。母は戸惑った様子のままだ。

「見ての通り私たちはもうだいぶ年老いて、先も長くはないでしょう。とやかく言ったところで何になるか。隆次や遼太郎の言ったようにあなたの家に隆次が
婿入りする方がきっと幸せでしょう。こちらは厄介な性分の息子をもらってくれるなんてむしろ感謝したいほどだ。よろしく頼みます」

親父は再び頭を下げた。母は「食事の支度を」と言って席を立った。
香弥子さんが慌てて立ち上がろうとすると、親父は

「気を遣わなくて良い。あなたは客人ですから。イスラム教は客人も大切にするんでしょう?」

と言った。香弥子さんは座り直し「ありがとうございます」と深く頭を下げた。僕も一緒に頭を下げた。

食事の支度と言っていたが何てことはない。出前で寿司を取っていただけのことだ。母は

「お寿司ならその…イスラム教の方でも大丈夫と聞いたから」

と言った。香弥子さんは安堵の笑顔を浮かべ「ありがとうございます」と頭を下げた。
両親は気づいていないだろうが、醤油にもアルコールが含まれる。しかし僕たちは醤油は黙認していた。日本に適合した形で信仰を続けていきたいからだ。

食卓での会話はほとんどなかったが、僕にとっては昔の普段通り。しかし香弥子さんは大きな収穫を得た後のように晴れやかな表情だった。

食後に客間でashar(アサール。午後の礼拝)を済ませ、帰ることにした。

「今日は雪が深いから、泊まっていけば」

ぶっきらぼうではあるが、母がまさかの言葉をかける。しかし僕の仕事を言い訳に帰ることにした。

タクシーを呼んでもらい、玄関先では普段絶対に顔を出さない親父までもが顔を出し、黙って僕らを見送った。




#4-2へつづく

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