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【連載小説】天国か、地獄か。祈りはどっちだ。#4-2

そしてすぐに年越しが訪れる。
今年は僕も香弥子さんに合わせて連休を取った。彼女は30日から3日まで、つまり休みの全てを僕の部屋で過ごした。

3食の食事は全て香弥子さんが作ってくれた。僕は1日3食摂る習慣が学生の頃までくらいしかなかったから、量はほんの少しづつにしてもらった。
他の誰とも会わず、2人でサラー(礼拝)をし、たまに散歩したり、部屋で寄り添って過ごした。
もちろん性行為は行えないけれど、夜は寄り添い合って眠りについた。

兄から連絡は来たものの向こうも引っ越しの準備が忙しそうだし、僕らも再び実家に行って話し合ったことはもう少し先に改めて伝えることにし、2人で過ごすから邪魔しないで、と言ったらちゃんとずっと放っておいてくれた。

僕はこの休暇の間、何も考えなかった。今は色んな事は考えないようにしましょう、と香弥子さんにも言われた。
だから目の前のことだけに心を向けた。そうすると心も身体も軽くなった。

日の出と共に一日が始まり、日が沈んで月が昇って一日が終わる。
こんな単純なこと、誰もが忘れている気がする。

連休の最終日にこれからの計画について、香弥子さんと話し合った。
はっきりとしている大きなイベントは、3月下旬に兄が日本を離れることだった。その前後で僕に何が出来るか。

結婚なんて、僕らの結婚なんて、証人を前にして誓いを立てればそれで終わりだ。簡単なものだが、まだ香弥子さんの両親への挨拶が済んでいないから、まず最優先はそこ。
それは出来れば1月中に済ませようと決めた。幸い香弥子さんの実家は首都圏内なので、僕の実家ほど遠くないし、体力的にもキツくはない。精神的には強い緊張感があるけれど…。

大層な結婚式を挙げるつもりはなかったが、せめてごく親しい人の前では2人のスタートを見てもらいたいと2人で話した。
僕にとってそれはもちろん兄である。
それが間に合うかどうか、だった。間に合わせるには互いが相当慌ただしくなる。

引っ越しは体力もそうだし、環境が変わるので精神的にもストレスを受けやすいから、一番後回しにすることにした。

* * *

そうして1月半ばの週末。僕らは香弥子さんの実家へ赴いた。

香弥子さんは3姉妹の真ん中で、娘たちが全員家を出てからは両親もマンションへ移り住んだという。駅から少し離れたところにある、やや高台で日当たりの良い中層マンションの4階。
香弥子さんは以前から僕のことを両親に伝えてくれていたという。そのためか玄関先で迎えてくれた2人は、僕を見ても好奇の目を向けたりしなかった。また僕に配慮して姉と妹は今回は呼んでいないという。

「よくお越しくださいました」

そういって足元に小綺麗なスリッパを揃えて僕に向けてくれた。

日がよく当たる明るいリビングに通される。そのためか部屋の中は暖房特有のぼんやりとした温かさではなく、和やかな温かみがあって僕は安心出来た。
両親はまだギリギリ50代で、僕の両親と比べたら相当に若々しい。
既に食卓にはたくさんの料理が並んでいる。

「隆次さんもイスラム教に改宗されたと伺ったので、見様見真似ですけど豚肉などは避けましたから、少しは安心して召し上がっていただけるかと」

さぁどうぞ、と父親も笑顔で僕に勧めた。僕は戸惑い、おどおどしてしまったと思う。

「隆次さんは少食なの。あまり食べろ食べろって押し付けないでね」

香弥子さんがフォローしてくれた。母親は余ったら持って帰って家でゆっくり食べてください、とも言った。

僕は食事の前に大切なことを言わなければ、と思っていたので、思いがけない展開に少し混乱した。また、僕の実家との雰囲気が違いすぎる。

雪で閉ざされた田舎の旧い大きな家。薄暗く、冷たい空間。
ここは東南向きなのか、陽が長く当たる、明るく暖かなマンションの一室。

僕はぼうっとしてしまいそうになったが、香弥子さんが腕をつついたので我に返った。

「こっ、この度は、このようなお時間を頂きありがとうございます」

頭を下げた時にテーブルに額をぶつけた。「あらあら」という声の後に笑い声が響いた。恐る恐る顔を挙げると、両親の笑顔は暖かなものだった。
僕の家の、嘲笑じみたあの感じとまるで違う。

「あの…既にご存知かと思われますが、僕は自閉症スペクトラムという神経発達症を持っております。最近ではコミュ障と言われているものが子供の頃からありました。相手の感情を汲み取りにくい事がありますので、僕の言葉が相手を傷つけるようなことがあります。
あとは見ての通り、表情が乏しいと言われています。そうかと思えば衝動的な行動に出ることもあって、若い頃は自傷行為なども繰り返していました」

両親は真面目な顔をしつつも頷きながら僕の話を聞いていた。

「東京へ出てきてもうすぐ6年になりますが、その間はきちんと通院もし仕事も自分に合った働き方で続けられています。あ、今は真夜中から明け方にかけて企業のセキュリティ監視や障害対応、リカバリ作業などを行っていますが、香弥子さんと一緒になったら勤務時間は会社とも相談して互いの生活に支障のないように組んでいきたいと考えています。
それで、東京に出てきてからは発達障がい者の会合に参加するようになって香弥子さんと出会い、若い頃に比べてればだいぶ落ち着いて日々過ごせるようになっています」

僕が話す間、香弥子さんは隣で僕の手をずっと握ってくれていた。

「こんな僕のことを…あたたかく大切に接してくれる香弥子さんに感動して…それで、結婚させていただきたいと思い、本日赴いた次第であります」

チラリと両親の顔を見ると、2人とも穏やかに微笑んでいた。

「香弥子からもよく聞いていました。これまでご苦労がたくさんあったでしょうね。香弥子も小さい頃から海外暮らしで、その後も旅に出たり職場でも様々な人種の方と接してきて、世の中には色んな人がいる、という受け入れる心は強く培われてきていると、親としても自負しております。隆次さんにとっても香弥子は頼りがいのある存在になれると思いますし、香弥子にとっても隆次さんのような、人の痛みに応えようとする優しい心を持った方に出会えて本当に良かったと聞いていますので、どうぞこれからもよろしくお願いします」

母親がそう言うと、隣で父親も大きく頷いた。

「あ、ありがとうございます」

香弥子さんと僕は2人して頭を下げた。僕はまたテーブルに額をぶつけそうになった。

「それで僕を…婿として受け入れていただきたく。養子縁組するかどうかはさておき、僕は香弥子さんの姓の "熊谷くまがい" を名乗っていきたいと思っています」

その申し入れも受け入れてくれた。全員娘ばかりだから、いずれ誰もいなくなるだろうとは思っていたけれど、まさかそんな申し出をしてくれるなんて、と返って恐縮された。

「逆に僕の家は男2人の兄弟で、兄がもう結婚していますから…何も問題はありません…」
「伺ったところによると、とても由緒のある大きなお家なんでしょう? こちらもきちんとご挨拶に伺わないと…」
「あ、いえ、それは…その…僕の実家は遠いですし両親はもう高齢ですし、その…」

僕が自分の家の事を語ろうとすると陰湿な空気になる事がわかっていたので、事前に香弥子さんとも相談して、多くは触れずにおこうと決めていた。
そしてこんなに正反対な人を、会わせたくないと咄嗟に思った。 会わずに済むなら、会わせたくなかった。

「お父さん、お母さん。それはまた追々決めていきましょう。話した通り隆次さんは一度にたくさんのことをやろうとするとオーバーフローしてしまったり、冷静になれなくなってしまうから。私たちの実際の結婚も、様子を見ながらあまり焦らず進めていこうとしているから」

またも香弥子さんのフォローで両親も納得してもらった。

こちらの話が済めばあとはご馳走を食べながら家族の昔話に花が咲き、僕は黙々と少しづつ食事を口にした。

窓の外はいつまでも明るく眺めが良かった。



#4-3へつづく

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