8月の甘い夜 #4

奥さんはもらったばかりの誕生日プレゼントを、丁寧に箱にしまい直した。
「ちょっと近所歩く時でもサッと引けるくらい、自然な色ですごく気に入った。ありがとう」

奥さんはすごく嬉しそうに言った。
野島次長も照れを隠すように、僕に話を振ってきた。

「飯嶌から告白したのか、そのスーパーの人に」
「はい、一応…」
「一応?」
「2人で飲みに行くことにこじつけたのは自分からだったんですけど、彼女も僕のこと、気になってたと言われまして…」

奥さんが野島次長に向かって言う。「なんかうちに少し似てない?」
「そうか?」
「男女逆転版よ。飲みに行きましょうって言ったのは私。で、まぁ、告白したら…」
「同じ気持ちでしたってやつな。どこでもそうじゃないか?」

奥さんがぷっと頬をふくらませる。

そこでテーブルの上に置かれた奥さんのスマホが鳴った。
「あ、ハルから」
私の弟ね、と言って電話に出た。

「口紅をプレゼントに選んだのは、どうしてなんですか?」

野島次長に訊いてみた。

「うーん、まぁ彼女も妊娠して…子供も産まれてくると忙しくて自分の身なりとかオシャレとか、余裕がなくなるんじゃないかなと思って。あぁいうのは手軽に使えるだろう?」
「そういうアイデアも次長が考えるんですか?」
「さっきも言ったけど、相談相手はいるよ。今回は同僚にアドバイスをもらった」

僕は…まだ美羽に口紅を贈る…選べる自信はないな…。

「でも今日は休日なのに飯嶌は一人飯だったんだろう? あぁそうか。彼女は土日が休みじゃないのか」
「そうなんです。あまりゆっくり会うことが出来ないんですよね」
「さみしいか」
「…今、それでちょっと悩んでるんです」

ほぅ、と野島次長が身を乗り出した時に、奥さんがスマホを差し出した。

「話し中ごめん、ハルが遼太郎さんに話したいことあるって」
「俺?」

野島次長はスマホを受け取って席を立った。やっぱり猫がついていく。

「ごめんね、話してる最中に」
「いえ、大した話はしていないので」
「付き合い始めたばかりなのに、うまくいってないの?」
「いってないというか、その手前というか、なかなか会う時間がなくて、薄いんですよね、なんか」

そう言うと奥さんは小さくため息をついた後、言った。

「私たちもね、付き合うってことになってすぐ、遠距離になったのよ」
「遠距離?」
「うん、遼太郎さんがね、ドイツに赴任することになって。ゆっくり会えたのは最初の2ヶ月くらいだったかな。その後は年に1~2回よ、会えたのは。私も転職したてで、有給もあまりなくって、気軽に会いに行けなかったの」

そういえば企画営業部は海外の部門やオフショアと取引があったな。その真っ只中の人だったのか、野島次長は。

「そうだったんですか…よく、続きましたね…」

そう言うと奥さんの表情が翳ったので、僕はしまった、と思った。

「あ、変な言い方しました。すみません…」
「いいのよ、自分でもそう思う。私、よくブチギレてたよ~」
「そうなんですか? そんな感じになるようには全然見えませんけど…」

「やっぱり会えないってストレスよ。どんなに安心して、大丈夫だからって言われたって、手をつないだりハグしたりしたいじゃない。それが出来ないんだもの。カップルや夫婦が並んで歩いてたりするのを見る度に、どうしていま私の隣にいないの!? って、すっごく悲しくて。電話でよく遼太郎さんに酷いこと言って困らせて、弟に怒られたわ」

奥さんはそう言うと苦笑いした。

「でもね、ある日突然、会いに来てくれたの。大ゲンカした後。ケンカって言うより、あれも一方的に私が悲観的になっただけだったけど。…あぁそうだ、それも私の誕生日だった。全然帰国する余裕なんかないはずなのに、2泊4日とかそんなノリで、会いに来てくれたのよ、遼太郎さん」

その時を辿るかのように、遠い目をして奥さんは話し続ける。

「私がワガママ言いたい放題だったのに、遼太郎さんは自分の無力さが嫌になって、とにかく何も考えずに飛行機乗ってきちゃった、って。その時くれた誕生日プレゼントは、婚約指輪だったよ」

うわぁ。
僕は泣きそうになった。ドラマかおとぎ話かと思って。

「だからね飯嶌くん」

奥さんは改まって僕を見た。

「は、はい」
「ゆっくり会えなくても、ほんの一瞬でもいいから、会った方がいいわ。物をプレゼントすることはそんなに大事じゃないよ」

「はい…」

僕は美羽の顔を思い出していた。
まだ、仕事が終わっていないであろう時間だ。

美羽はこのすれ違う時間を、どう思っているのだろうか。
どう感じて、過ごしているのだろうか。

「今日この後、連絡してみます…」

小さく僕が言うと、奥さんはニッコリと微笑んだ。

そこへ野島次長が戻ってきた。

「随分長かったのね」
「夏希がお客さんと話し込んでるって言ったら、ハルも ”じゃあついでに” って仕事の話をさ」
「あぁ、すみません。僕のせいで…」
「飯嶌のせいじゃないよ。それとだな」

野島次長が僕の隣に座り、近い距離でこう言った。
「飯嶌はもっと自信持たないとな」

奥さんが「ケーキとお茶用意するね」と言って席を立った。

「僕も…自覚はあるんですけど…」
「謙遜するような言葉はあまり口にしなくていい。言霊ってあるからな。同期から "残念なイケメン" とか "黙ってればいい男" とか言われるのは、言動に課題があるからだ」

はい…と僕はシュンとした。

「飯嶌、本気でうちの部に来たらどうだ」
「えぇっ、いや、それはちょっと…」
「なんだ」
「自信がない…あ、そういうことか…」
「そういうことだ」

野島次長はニヤリと笑った。「俺が鍛えてやるよ」
「こわっ」
「お前、酷いこと言うな」

それでも野島次長は穏やかな顔をしていた。

「飯嶌は今、変わり時に来てると思うぞ」
「変わり時、ですか」
「同期からの言葉に傷ついて、でも彼女が出来て。で、今5年目だろう? 今まで避けてきたこととか、やらないで来たことを始めるタイミングってサインだよ」
「そんなものでしょうか…」

野島次長は小さくため息をついて言った。

「お前は、今の言葉を聞いてどう思う?」
「…彼女が出来たけど、なんか思うようにいってないもどかしさはあって、それは僕自身が何かしないといけないかな、とは思っています…」
「それでいい」

「そろそろケーキを出してもいい?」

奥さんが絶妙なタイミングで声をかけた。

「自分でローソク点けるの恥ずかしいから、遼太郎さんやってよ」

野島次長は笑いながら「そうだよな」と言って席を立った。奥さんが紅茶の入ったカップを僕の前に置いてくれた。

「本当はコーヒーが好きなんだけど、私が今飲めないのと、ちょっと遅い時間だからデカフェのお茶にしちゃった。コーヒーが好きだったらごめんね」
「いえ、僕、本当になんでも大丈夫なので」

ローソクが3本刺さった小さめのホールケーキが、テーブルの中央に置かれた。

「奥さん、30歳なんですか?」
僕がそう言うと2人は吹き出した。

「違うわよ。省略しているの」

席に着くと、特に歌を歌うでもなく、奥さんはフッとろうそくを吹き消した。

「改めて、おめでとうございます」
僕が言うと奥さんは「ありがとう」と微笑んだ。

ケーキは野島次長がカットした。明らかに僕への一切れが大きすぎた。

「若いからこれくらい、いけるよな」
「偏見だと思いますけど、いけます」

僕はその一口も大きく、いただいた。

「うんまっ。このケーキ美味しいっすね。どこのですか?」
「ここのすぐ近くの、運河から1本入ったところのカフェのやつよ。今度彼女とぜひ行ってみて」
「はい、行ってみます!」

「俺たち付き合ってる頃、変な時間に電話してたよな」

ケーキを食べながら、野島次長がふいに言った。

「時差があったからね。日本の早朝、ドイツの深夜」
「でもほぼ毎日話してたな」
「うん」

そしてフォークをぷらつかせながら、僕の方を見て言った。

「変な遠慮しないで、彼女と会って話する時間を作れよ」
「…はい。さすが夫婦。奥さんにも同じこと言われました」

僕はケーキの最後の一口を詰め込んだ。

野島次長の足元からソファに移動して、ドンと鎮座した猫と目が合い、猫はふてぶてしく目を細めた。

なんか…お前に出来るのか? と言いたげだ。

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つづく

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