【連載短編小説】8月の甘い夜 #5(最終話)
「もしもし、美羽ちゃん? 今話せる?」
僕は野島次長の家からの帰り道、恋人の美羽に電話をかけた。
『うん。もう家にいるから大丈夫。どうしたの?』
「うん、研修、どうだったかなと思って」
『急にどうしたの?』
彼女の笑う声。
「その…今までなかなか時間が合わなかったから連絡取るのとか遠慮しちゃったんだけどさ、やっぱりその…美羽ちゃんともっと、話がしたいなって思って」
『え…』
「いま実は、会社のお偉いさん…お偉いさんって言ってもそうでもないっていうか、いやそうでもあるんだけど、その、会社の人の家に行っててさ、あのスーパーで偶然会って。近所だったんだ。奥さんの誕生日でパーティがあるから、良かったら来なよって声かけてくれて」
『へぇ、いいね! 楽しかった?』
「うん。すごいご馳走が出てきてさ。ケーキもめちゃくちゃ美味しくて…あ、なんか近所のカフェのケーキだって言ってたから、今度一緒に行こうよ」
『うん、行きたい!』
僕が次長の家に行ったことを話したのは、ケーキの話をするためじゃないのに。
話したいのはそうじゃないんだけど、どう話していいかわからない。
次長の家で聞いた言葉をどうにか、自分の言葉で伝えたいんだ。
「あ、なんか僕ばっかしゃべってる…美羽ちゃん疲れてるのにごめんね」
『気にしないで。電話くれて嬉しい』
「そう?」
違う違う。話したいことは違う。
「美羽ちゃん」
『うん?』
「僕はこれから、美羽ちゃんとの時間をたくさん過ごしたい」
『えっ?』
「すれ違う時間を理由にしたくないんだ。美羽ちゃんとの時間を、僕は作っていくから。あ、もちろん美羽ちゃんが疲れててもうウザいって時は、避けるようにするから」
しばらく沈黙があった後、電話の向こうではクスクスと笑う声が聞こえた。
「美羽ちゃん、どうしたの?」
『私も遠慮してたの。優吾くんだって営業でストレスたくさん溜まりそうだし、私の終業時間も不規則だし、合わせるの大変かなって。でも、私も遠慮するのやめる。それで私も連絡するようになったら、優吾くんもウザいなって思う時があるかもしれないから、その時は言ってね』
「ウザいなんて思わないよ」
『優吾くん、私も同じ気持ち。だから優吾くんも、気を遣って避けないで』
「うん」
僕は立ち止まって空を見上げた。
8月の夜空。
僕の脳内で、TM Networkの『8月の長い夜』が流れた
(母親が大好きで、よく聴いていたのだ)。
都内の明るい空でも、星ってキレイなんだな、と感じた夜だった。
「ね。窓開けて、空見上げてみて」
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END
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