【連載】運命の扉 宿命の旋律 #8
Invention - 小即興曲 -
夏季休暇中も学校は毎日開いており、補講や集中講義などが開催されていた。
萌花も期末テストの結果が思わしくなかったので、何日かは学校に通った。
そういったクラスで稜央を見かけることはなかったが、中庭に出ると北校舎4階の音楽室の窓からピアノの音色が聴こえてきた。
きっと稜央が弾いているのだろうと思った。
けれど音楽室に近づくことは出来ない。
"俺の領域に近づくな" と締め出されてしまったのだから。
萌花は音楽室を見上げて、漏れ聞こえるピアノの音色に耳を澄ませる。
「あ、川越だ。空なんか見上げて、何してるの?」
声にハッとして振り返ると、同じクラスの千田悠人だった。
彼は結衣と同じバドミントン部に所属している。
「千田くん…」
「あれ…誰かピアノ弾いてるのか? 先生かな」
萌花は触れられたくないと思い、話題を逸らした。
「千田くんは何かのクラスに出ていたの?」
「うん、英語の特級クラス。川越は?」
「私、数学の。苦手なんだよね、数学」
悠人は爽やかな笑顔を浮かべた。スポーツマンらしい、と萌花は思った。
「女子は数学苦手な人多いよね。今度教えてあげようか」
「ううん、大丈夫。それより千田くんって、バドミントン部だったよね?」
「うん、これから部活。そういえば佐々木結衣って、川越と同中だったんだって?」
「あ、うん、そうなの。あ、じゃあ結衣ももうすぐ来るのかな?」
悠人はこみ上げる笑いに口を抑えてみせた。
「…どうしたの?」
「いや、さっき俺が "数学教えようか" って訊いたら、さらっと拒否ったから。面白いなって思って」
萌花はそれが面白いのかはわからなかった。
「ま、いいや。じゃ俺、部活に行くから」
千田悠人…稜央とまるで逆だ、と萌花は思った。
明るくて爽やかで絵に描いたようなヒーロー的キャラクターだ。
以前結衣が稜央のことを悠人に訊いたと話していたが、彼の口からは全く良い印象は聞かれなかった。
萌花は再び見上げ、未だ漏れ聞こえるピアノの音色にため息をついた。
* * *
夏休みが明け、登校すると悠人が萌花にわざわざ挨拶をしてきた。
「川越、おはよ」
「あ、うん、おはよ…」
萌花は廊下側の後ろの席、稜央を見やる。
俯いて、腿の上に置いた本を読んでいる様子だった。
ため息をつく。
「なに見てんの?」
そう話しかけてきたのも悠人だった。
萌花は驚いて慌てた。
「別に…」
「もしかして、川嶋のこと見てるの?」
萌花は顔を赤くして否定した。
「ち、違うよ」
「でも俺、知ってるんだよね」
まだ空いている萌花の前の席に座り、ヒソヒソ声で悠人は言った。
「川越はいつも川嶋のこと見てるってこと」
「…!」
萌花は慌てて悠人から目をそらす。
逸らした先に、稜央が目に入る。
合うことのない、彼との視線。
「正直、アイツはやめておいた方がいい。女は愚か、人と付き合う能力持ってないよ。口の利き方も知らないし、気も遣えないし。泣かされちゃうよ」
萌花が呆気にとられていると、席の主が登校して来て悠人は席を退いた。
"もしかして、みんな気づいているのかな、私が川嶋くんのことをいつも見てしまっていることを…"
教師が教室に入ってきた。そのどさくさに紛れて萌花は稜央を見やると、目が合った。
しかし、すぐに逸らされてしまった。
"川嶋くんは私のことを別に何とも思ってなんかいない"
新学期早々、ため息ばかりだった。
* * *
それからというもの、悠人は何かと萌花にちょっかいを出すようになった。
大抵、稜央の視界に入るように。
周囲は2人を冷やかすようになるが、稜央だけが意に介さない様子なのが益々つらかった。
萌花は結衣に相談しようと思い、部活が終わるまで補講教室で講義を受けて待つことにした。
残暑の長い西日が校舎を包んでいた。
講義を終え部室から結衣が出てくるのを待つ間、先に着替えを終えて帰宅する男子部員の集団が近くを通り、その中に悠人もいた。
「川越、どした、そんなところで」
声をかける悠人に周囲が冷やかす。
萌花は耐えられない、とでも言いたげに首を横に振り「結衣を待っているだけ」と答えた。
「なんだ、一緒に帰れるチャンスかと思ったのに」
困っていたところへ結衣が出てきてくれた。
「萌花! 遅くなってごめん~」
萌花が駆け寄ると、後ろ髪引かれるようにして悠人は集団に紛れて去っていった。
その集団を見て結衣も怪訝な顔をした。
「そう言えば千田くんがなんか萌花にちょっかい出してるって言うのを聞いたんだけど」
「ちょっかいっていうか…そのことでちょっと結衣に相談したくって」
「あ、なに、そのことだったんだ!」
その前に萌花はひとつ訊いておきたいことがあった。
「結衣は前に、千田くんのこといいなって言ってたよね。それは…その後どうなったの?」
「先にそっちの話? そうね…まぁかっこいいはいいんだけど、ちょっとクセがあるかな、と思って様子見中」
「クセ?」
「ま、いいから。萌花の話聞かせて!」
萌花は最近のクラスでの悠人の様子について説明した。稜央の目の前で、わざとやっているように感じる、と。
それを聞いていた結衣は「ふ~ん、まぁやっぱりね、って感じがする」と言った。
「そうなの?」
「まぁなんか人ってさ、気に入らない奴の前でこれみよがしにしたいでしょ?」
「気に入らない奴…」
「前に千田くんに、それとな~く川嶋くんのことを訊いた時もさ、良いこと何も言ってなかったし、何ならちょっと敵意感じたし」
別に自分のことを好きなわけではなくて、稜央に当てつけたい、ということか。萌花は呆れた。
「川嶋くんに見せつけたいだけってこと…?」
「いや、わかんない。萌花のこと本当に好きかもしれないけど。千田くんはあまり素直なタイプじゃないから。それはおいといてさ」
「なに?」
「その肝心の川嶋くんとはその後、どうなったのよ?」
萌花は深い溜め息をつき、結衣はすぐに状況を悟った。
結衣もヤレヤレ、とため息をつく。
「まぁ、それらの話からしても川嶋くんは一筋縄も二筋縄もいかないって気はしていたけどね」
俯く萌花に結衣は肩に手を載せ、言った。
「それでも好きなんだ。嫌気刺さないんだ、川嶋くんに」
萌花は黙って頷いた。
よく考えれば不思議なことだ。どうしてこんなに惹きつけられるのだろう。
ピアノは全然聴く機会を持てないし、むしろ強く拒まれているというのに。
「そうなの。なんでだろうね」
美化しているのかもしれないけれど。
一番星の夜空を見上げる萌花に、結衣もかける言葉がなかった。
#9へつづく
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