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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #8

2日後。

梨沙は白い息を弾ませてHauptbahnhof(ベルリン中央駅)に向かった。約束の時間まで1時間近くあるけれど、家でじっとしていられなかった。

ベルリン中央駅(2022年12月撮影)

駅の中はクリスマスオーナメントがあちこちに飾られている。
駅ナカの売店など見て回るが、雰囲気も相まって梨沙も浮足立っている。

そうだ、何かドイツっぽいものを一緒にプレゼントしようかな。

そう思い立ったが、ドイツっぽいものってなんだろうと考えると、よくわからなかった。
ビール、プレッツェル、クリミ割人形…土産物屋にはそう言った類のマグネットなど並んでいるが、ピンとこなかった。

しまった。もっとオシャレな店でなにか用意しておけばよかった。Emmaにも相談すれば良かった。

仕方なくベルリンベアのキーホルダーを買う。滑稽だが、かえって印象に残るかもしれないと思い直す。

約束の15時が近づいてきたので、駅前に移動した。外は雪が降りそうな程どんよりと曇り、凍るような風が吹いていたため、内側で待った。

多くの人が行き交う中央駅。大きなスーツケース、バックパッカー、カップル、家族連れ…。眺めながら自分の待ち人はまだかと、人の流れに目を凝らす。

15分が過ぎた頃、何度も何度も駅の時計を見上げる。旅には予定外のことも起こるから、多少の遅れは仕方ないだろうと思っていたが。

ベルリン中央駅の時計(2022年12月撮影)

30分が過ぎるとさすがにソワソワしてくる。もう日も暮れる頃だ。
鼻の頭が冷たく、真っ赤になっている。
何かトラブルでも起こったのだろうか。急な予定変更が入ったとか。

でも今どこか探しに動いたら、その間にすれ違ってしまうかもしれない。だから一歩も動けない。
やはり連絡先を無理やり訊いておくべきだった。失敗した。

16時。
いよいよ日も落ち、外は夜になった。梨沙の目には涙が浮かぶ。寒いだけじゃない。
どうしたんだろう。事故にでも遭ってしまったのだろうか。
ネットのニュースを漁るが、日本人が事故などにあったというニュースはない。そもそも些細な事故はニュースにすら載らないかもしれない。

日本は午前0時。いつも父に連絡する時間だ。
けれど今は掛ける気にはなれない。

17時。
もう人の流れに目をやることが出来ない。けれどその場から離れることも出来ない。
梨沙は俯いた。

メッセージを受信した。遼太郎からだった。

何かあったのか


ポトリと、画面に涙が一粒落ちた。

今、外にいるの。明日必ず電話する。

そう返すと『了解』と短い返信が来た。父も心配して、日本は真夜中なのにこうしてメッセージをくれる。

こんなに愛しいのに。

ポロポロポロ、と頬を涙が伝っていく。


「梨沙ちゃん」


不意に背後で声がした。振り返ると彼、稜央だった。

彼は大きな黒いバックパックを背負って、黒いコート黒いパンツ、全身黒ずくめだった。

「遅くなってごめん。ちょっと移動のトラブルがあって」

心なしか彼の表情は強張っていて、梨沙はトラブルを疑わなかった。涙を拭って「大丈夫」と笑顔を作った。

「来てくれてありがとう。絵を描いてきたよ」

梨沙が「データで渡したいから連絡先を教えて」と言うと、稜央はためらった。

「メアドでもIDでも何でもいいから」

稜央は何と断ろうかと考えた。何も持っていないんだ、は今の世の中通用しない。
仕方なく、最も利用頻度が少ないメールアドレスを教えた。梨沙はそこにデータの置き場所のリンクを送る。

「1枚だけプリントアウトしてきたから、これはスケッチとして受け取って。あとつまらないものだけど、せっかくのドイツだから、ドイツっぽいお土産を買ったの」

差し出された袋を受け取り、絵を取り出した。

「え…これ本当に梨沙ちゃんが描いたの?」

梨沙は嬉しそうに頷いた。
それはまるで写真のように細やかな線で描かれた、自分がグランドピアノを弾く姿。
正直ここまでのものを描くとは思っていなかった。

「すごい…ありがとう。僕…手ぶらだけど」
「ううん、ピアノを弾いてくれたお礼だから、いいの」

絵の入った袋をバックパックにしまうと、稜央は「それじゃあ」と言って去ろうとした。

「あ、あの!」

呼び止められて振り返ると、梨沙は顔を真赤にして目を潤ませていた。

「…どうしたの?」
「私、来年の夏に日本に帰る予定なの。…そしたらその…日本で会えない? 私、会いに行くから。どこに住んでるの?」

稜央は唇を噛みしめる。

「僕はすごく田舎に住んでるし…」
「大丈夫、どこでも会いに行くから」
「いや、その、それはちょっと…」

梨沙は息を呑んで緊張した表情を浮かべた。

「…だめなの?」
「うん、ちょっと…女の子と会うのは…」
「えっ…もしかして結婚してるとか?」

稜央の年齢を考えれば相手がいたっておかしくないが、梨沙は自分のことで頭が一杯で、そこまで考慮できなかった。

稜央の目線は宙を彷徨い「まぁ、そういう感じなんだ」と言った。

「でも会ってお話するだけなら」
「ごめん、もう、急ぐから」

そう言って稜央は足早に去ろうとした。

「待って!」

それを梨沙が涙を滲ませながら追いかけてくる。

「お願い、どうしてもまた会いたいの。メールするから。来年日本に帰ったら会いたいの」
「梨沙ちゃん、本当にごめん」

振り払うように稜央は梨沙に背を向け歩き出す。
振り向くまい。もう二度と接してはいけないのだ。


ホームへ降りるエスカレーターに乗り、チラリと梨沙の方を見やった。

彼女はうずくまり、膝に顔を埋めていた。

稜央の胸が痛む。

稜央は時間通りに駅に来ていた。そうして離れた場所から梨沙の様子を伺っていた。
30分もすれば諦めて帰ってくれるだろうと思っていた。

けれど1時間経っても2時間経っても、梨沙は健気に待ち続けた。ニットの手袋をした両手で頬を抑え、寒さに耐えながら待ち続けた。

もっと早く自分が立ち去るべきだった。
稜央は観念して、梨沙の元へ向かった…。


どうして僕はベルリンなんかに来たのだろう。せめて前もって父に連絡入れていれば、娘がベルリンに居ることの情報くらい入手出来たかもしれない。

けれど今となってはもうどうしようもない。

ホーム階へ下りたが、そのままUターンして階上へのエスカレーターに乗る。

しかし、さっきまで梨沙がいた場所に、もうその姿はなかった。

駆け出して周囲を見回すが、いない。
諦めて帰ったのだろうか? 無事に帰れるのだろうか?
まさか、変な気起こさないよな…。

でも。
あの父・・・の子だから、何をしでかすかわからない。父も自分も、衝動的な行動を起こすことがある。

稜央は更に周囲を見回しながら梨沙を探した。
するとそこへ年老いた男性が声をかけてくる。

「Das Mädchen von vorhin wurde von der Polizei abgeführt.(さっきの女の子なら警察に連れて行かれたよ)」

しかし稜央はドイツ語がわからず、しどろもどろする。英語でたどたどしく "Janapese girl" や "here" と並べると老人は頷いて「Ja. Polizei, Polizei」と駅の片隅を指さして言った。警察か、ということは何となく察した。

「Danke」

例を言って稜央は指された方へ向かった。確かに『Polizei』の看板がある。

中に入ると、そこには警官に囲まれて泣きじゃくる梨沙がいた。

「梨沙ちゃん…」

その声に梨沙が顔を上げると、驚いたように目を見開いた。

「Are you in this girl's family?」

警官に英語で尋ねられ、思わず頷いた。

Family…その通りだ。

梨沙を抱きかかえて、交番を出た。





#9へつづく

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