【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #7
稜央は動揺していた。
とりあえず父に…遼太郎に伝えておいた方が良いだろうと考えた。
暫くぶりの連絡が、まさかこんな形になるなんて。
「父さん…、今大丈夫?」
『久しぶりだな。大丈夫だけど、どうした?』
「つかぬこと訊くけど…娘って今、ベルリンにいたりする?」
『ずいぶん唐突だな。そうだけど…何でだ?』
「…名前は確かリサって言ったよね。身体は細くて背は小さめ、色白で目が大きくて髪は黒くてサラサラで顎くらい…」
『…何が言いたい?』
「僕いま、ベルリンにいるんだ。それで…」
遼太郎は、カッと一瞬で全身の毛穴が開いたかと思うと、次の瞬間、震えるような悪寒を憶えた。
『お前まさか…会ったというのか?』
「偶然、本当に偶然なんだ。ショッピングモールに置いてあった誰でも弾いていいピアノを弾いていたら、彼女がそれを聴いていたみたいで」
そんなことがあるのか?
遼太郎は逸る鼓動を抑えられないまま、続きを促した。
「ピアノを弾き終えてから店に入ってビールを飲んでいたら、彼女が来て話しかけてきたんだ。でもずっとモジモジしていてあまりはっきり喋らないから僕から色々訊いたら、今高校生でベルリンには留学で来ている、みたいな話をして」
「...それで?」
「もっとピアノ聴かせてほしい、子供の頃パパがよく聴いていた曲があって、それを弾いてほしいっていうんだ。それが…ショパンの『英雄ポロネーズ』とドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』で。その時にあれ?って思って。年頃と、ベルリンにいることと…もしかしたらって思って別れ際に名前を訊いたんだ。そしたら "リサ" と…ノシマリサ、と名乗ったんだ」
遼太郎は頭を殴られたような衝撃を受ける。
2人が出会うことなんて…そんなことがあり得るのか?
動揺を抑え、深呼吸してから言った。
『それでお前…自分の話をしたのか?』
「まさか! 下の名前は名乗ったけど…明かさないよ」
『それで…その後どうしたんだ』
「別れ際、また会えないかって訊いてきたんだ。僕は旅の途中で移動もしなくちゃいけないから難しいなって言ったら、連絡先を教えて欲しいって言われて」
『教えたのか?』
「いや…もしかしたらって思ったから、教えていない」
安堵するも束の間、遼太郎の鼓動は早まったまま。
『頼むから、娘とは接触しないでくれ』
「あ、当たり前だろ。言われなくたって…」
『いや…すまない。俺も動揺して』
「…無理もないよ。僕だってそうだよ」
稜央と梨沙がはち合わせるなど、夢にも思わなかったことだ。
稜央とは和解し、比較的友好な関係を築けていた。彼は遼太郎の生まれ故郷でもある地方都市に住んでいることもあって、滅多に顔を合わせるでもなし、ちょうど良い距離感だと思っていた。
それがまさか、梨沙がベルリンで出会うとは。
その気持ちを読まれたかのように稜央は言った。
「僕が…ベルリンなんか来なければ良かったんだ」
『いや、それは違う。お前がどこに行こうとお前の自由なんだから』
「僕ずっと、東欧ばかり周ってて…ベルリンも父さん縁の地だから、ついいつも寄ってしまっていて…それがまさか、こんなことに」
『お前のせいじゃない』
しばし互いに黙り込んだ後、遼太郎は言った。
『ベルリンには長く滞在するのか?』
「いや…出ようと思う。どこか他の街に」
『そうか…。でもまさか…ピアノの演奏がきっかけだなんて…』
「旅先だし、僕も遊び心が疼いたんだよ…。ジャズピだけでやめておけば…クリスマス近いしドイツだしと思ってバッハなんて弾いてしまったから、彼女の気を引いてしまったんだ…」
『ジャズピ…ジャズピアノのことか』
「うん。『Moment’s Notice』っていう曲を弾いたんだ」
Moment’s Notice…“突然の通告” というわけか。
笑わせてくれるじゃないか。
人はあまりにも衝撃を受けると笑ってしまうものなのだろうか。遼太郎は電話を切った後、しばし笑いが込み上げたが、やがてその波は冷ややかに消えた。
***
電話を切った後、罪悪感が稜央を襲う。
実は別れ際、連絡先の交換はしなかったが、また会う約束をしたのだ。
梨沙が今日のピアノのお礼がどうしてもしたいという。
『今日のお礼にあなたに絵をプレゼントしたい。私は絵を描くのが得意なの。でも今すぐ描けないから…。いつまでベルリンにいるの?』
『…明後日までいようと思ってた』
『じゃあ明後日。ベルリン中央駅でいい? 時間は何時がいい?』
そうして稜央は明後日の15時にベルリン中央駅で会う約束を交わした。
もちろん、すっぽかすことは可能だ。連絡の取りようはないのだから。
遼太郎の言うように、これ以上の接点を持つことはタブーだ。
けれど。
別れ際、駆け足で去る梨沙が一度振り返り、弾けるような笑顔を見せて
『りょうさん、また明後日!』
と大きく手を振った。真っ白な肌の頬が春のように色づいた。
彼女が…腹違いの妹がどんな絵を持ってくるのか、興味があった。
“絵を受け取ったらそれで最後…”
それでも問題ないだろう、と稜央は考えた。
***
そうして遼太郎は、その日梨沙から初めて連絡がなかったことに気づいた。
こちらはもう真夜中だから遠慮しているのかもしれないが、それにしたってメッセージすら入っていないことに、むしろ怪訝に思った。
今日の、稜央との接点がなにか影響しているのではないか、と。
遼太郎はどうしても気掛かりになり、自分からメッセージを送った。
するとすぐに返信が来た。電話ではなく、テキストメッセージにて。
遼太郎は『無事ならそれでいい。また明日』と締めくくった。梨沙からは「Gute Nacht」と返信が来た。
梨沙は別に気づいているわけではない。"りょう" という名前だけでは何もわからない。むしろ稜央の存在なんて、当然子供たちは知る由もない。
ただ「出会ってしまった」という事実に、遼太郎は運命の恐ろしさを思い知る。
***
梨沙は遅くまでタブレットで絵を描いていた。グランドピアノを弾く男性だ。
描きながら途中何度も手を止め、思い返す。
“あんな人がいるなんて…”
父よりか弱そうな印象はあったものの、それでも顔のパーツも雰囲気も本当によく似ていた。
そして大好きな父のあの匂いに、かなり近いものを感じていた。梨沙自身がとても驚いた。
しかも名前を訊いたら「りょう」と名乗るではないか。
何から何まで似ているなんて。もう運命以外の何者でもない。
そういえば年齢を訊くのを忘れた。20代後半か30代前半くらいだろうか。
“だとしたら、十分に釣り合う”
日本に戻ってからも会いたい。この出会いは絶対に運命なのだ。
梨沙は考え、描いた絵をデータで送るというのを口実に連絡先を訊こうと思った。さっきは興奮し過ぎていて、連絡先を聞くのを忘れてしまったのだ。
けれど2日後に会えることを信じていた。
念のため紙に出力もし、日付とサインを入れた。
彼だったらいい。いえ、彼でなければ。
私を救ってくれるのはきっと彼なのだ。
神様が私を哀れんで、出会わせてくれたのだ。父の分身のような男性に。
「リーザ、遅くまで何を描いてるの?」
シャワーを終えて部屋に戻ってきたEmmaが尋ねてきた。梨沙は咄嗟に隠した。
「あら、内緒の絵?」
「うん、ちょっとまだ下手くそだから、恥ずかしい」
Emmaはクスっと笑い「上手く描けたら見せてね」と言ってベッドに入っていった。
梨沙はタブレットに目を落とす。
よく描けていると思う。
光を浴びてピアノを弾く、愛する人によく似た男性…稜央の姿。
#8へつづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?