【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #8
2日後。
梨沙は白い息を弾ませてHauptbahnhof(ベルリン中央駅)に向かった。約束の時間まで1時間近くあるけれど、家でじっとしていられなかった。
駅の中はクリスマスオーナメントがあちこちに飾られている。
駅ナカの売店など見て回るが、雰囲気も相まって梨沙も浮足立っている。
そうだ、何かドイツっぽいものを一緒にプレゼントしようかな。
そう思い立ったが、ドイツっぽいものってなんだろうと考えると、よくわからなかった。
ビール、プレッツェル、クリミ割人形…土産物屋にはそう言った類のマグネットなど並んでいるが、ピンとこなかった。
しまった。もっとオシャレな店でなにか用意しておけばよかった。Emmaにも相談すれば良かった。
仕方なくベルリンベアのキーホルダーを買う。滑稽だが、かえって印象に残るかもしれないと思い直す。
約束の15時が近づいてきたので、駅前に移動した。外は雪が降りそうな程どんよりと曇り、凍るような風が吹いていたため、内側で待った。
多くの人が行き交う中央駅。大きなスーツケース、バックパッカー、カップル、家族連れ…。眺めながら自分の待ち人はまだかと、人の流れに目を凝らす。
15分が過ぎた頃、何度も何度も駅の時計を見上げる。旅には予定外のことも起こるから、多少の遅れは仕方ないだろうと思っていたが。
30分が過ぎるとさすがにソワソワしてくる。もう日も暮れる頃だ。
鼻の頭が冷たく、真っ赤になっている。
何かトラブルでも起こったのだろうか。急な予定変更が入ったとか。
でも今どこか探しに動いたら、その間にすれ違ってしまうかもしれない。だから一歩も動けない。
やはり連絡先を無理やり訊いておくべきだった。失敗した。
16時。
いよいよ日も落ち、外は夜になった。梨沙の目には涙が浮かぶ。寒いだけじゃない。
どうしたんだろう。事故にでも遭ってしまったのだろうか。
ネットのニュースを漁るが、日本人が事故などにあったというニュースはない。そもそも些細な事故はニュースにすら載らないかもしれない。
日本は午前0時。いつも父に連絡する時間だ。
けれど今は掛ける気にはなれない。
17時。
もう人の流れに目をやることが出来ない。けれどその場から離れることも出来ない。
梨沙は俯いた。
メッセージを受信した。遼太郎からだった。
ポトリと、画面に涙が一粒落ちた。
そう返すと『了解』と短い返信が来た。父も心配して、日本は真夜中なのにこうしてメッセージをくれる。
こんなに愛しいのに。
ポロポロポロ、と頬を涙が伝っていく。
「梨沙ちゃん」
不意に背後で声がした。振り返ると彼、稜央だった。
彼は大きな黒いバックパックを背負って、黒いコート黒いパンツ、全身黒ずくめだった。
「遅くなってごめん。ちょっと移動のトラブルがあって」
心なしか彼の表情は強張っていて、梨沙はトラブルを疑わなかった。涙を拭って「大丈夫」と笑顔を作った。
「来てくれてありがとう。絵を描いてきたよ」
梨沙が「データで渡したいから連絡先を教えて」と言うと、稜央はためらった。
「メアドでもIDでも何でもいいから」
稜央は何と断ろうかと考えた。何も持っていないんだ、は今の世の中通用しない。
仕方なく、最も利用頻度が少ないメールアドレスを教えた。梨沙はそこにデータの置き場所のリンクを送る。
「1枚だけプリントアウトしてきたから、これはスケッチとして受け取って。あとつまらないものだけど、せっかくのドイツだから、ドイツっぽいお土産を買ったの」
差し出された袋を受け取り、絵を取り出した。
「え…これ本当に梨沙ちゃんが描いたの?」
梨沙は嬉しそうに頷いた。
それはまるで写真のように細やかな線で描かれた、自分がグランドピアノを弾く姿。
正直ここまでのものを描くとは思っていなかった。
「すごい…ありがとう。僕…手ぶらだけど」
「ううん、ピアノを弾いてくれたお礼だから、いいの」
絵の入った袋をバックパックにしまうと、稜央は「それじゃあ」と言って去ろうとした。
「あ、あの!」
呼び止められて振り返ると、梨沙は顔を真赤にして目を潤ませていた。
「…どうしたの?」
「私、来年の夏に日本に帰る予定なの。…そしたらその…日本で会えない? 私、会いに行くから。どこに住んでるの?」
稜央は唇を噛みしめる。
「僕はすごく田舎に住んでるし…」
「大丈夫、どこでも会いに行くから」
「いや、その、それはちょっと…」
梨沙は息を呑んで緊張した表情を浮かべた。
「…だめなの?」
「うん、ちょっと…女の子と会うのは…」
「えっ…もしかして結婚してるとか?」
稜央の年齢を考えれば相手がいたっておかしくないが、梨沙は自分のことで頭が一杯で、そこまで考慮できなかった。
稜央の目線は宙を彷徨い「まぁ、そういう感じなんだ」と言った。
「でも会ってお話するだけなら」
「ごめん、もう、急ぐから」
そう言って稜央は足早に去ろうとした。
「待って!」
それを梨沙が涙を滲ませながら追いかけてくる。
「お願い、どうしてもまた会いたいの。メールするから。来年日本に帰ったら会いたいの」
「梨沙ちゃん、本当にごめん」
振り払うように稜央は梨沙に背を向け歩き出す。
振り向くまい。もう二度と接してはいけないのだ。
ホームへ降りるエスカレーターに乗り、チラリと梨沙の方を見やった。
彼女はうずくまり、膝に顔を埋めていた。
稜央の胸が痛む。
*
稜央は時間通りに駅に来ていた。そうして離れた場所から梨沙の様子を伺っていた。
30分もすれば諦めて帰ってくれるだろうと思っていた。
けれど1時間経っても2時間経っても、梨沙は健気に待ち続けた。ニットの手袋をした両手で頬を抑え、寒さに耐えながら待ち続けた。
もっと早く自分が立ち去るべきだった。
稜央は観念して、梨沙の元へ向かった…。
どうして僕はベルリンなんかに来たのだろう。せめて前もって父に連絡入れていれば、娘がベルリンに居ることの情報くらい入手出来たかもしれない。
けれど今となってはもうどうしようもない。
ホーム階へ下りたが、そのままUターンして階上へのエスカレーターに乗る。
しかし、さっきまで梨沙がいた場所に、もうその姿はなかった。
駆け出して周囲を見回すが、いない。
諦めて帰ったのだろうか? 無事に帰れるのだろうか?
まさか、変な気起こさないよな…。
でも。
あの父の子だから、何をしでかすかわからない。父も自分も、衝動的な行動を起こすことがある。
稜央は更に周囲を見回しながら梨沙を探した。
するとそこへ年老いた男性が声をかけてくる。
「Das Mädchen von vorhin wurde von der Polizei abgeführt.(さっきの女の子なら警察に連れて行かれたよ)」
しかし稜央はドイツ語がわからず、しどろもどろする。英語でたどたどしく "Janapese girl" や "here" と並べると老人は頷いて「Ja. Polizei, Polizei」と駅の片隅を指さして言った。警察か、ということは何となく察した。
「Danke」
例を言って稜央は指された方へ向かった。確かに『Polizei』の看板がある。
中に入ると、そこには警官に囲まれて泣きじゃくる梨沙がいた。
「梨沙ちゃん…」
その声に梨沙が顔を上げると、驚いたように目を見開いた。
「Are you in this girl's family?」
警官に英語で尋ねられ、思わず頷いた。
Family…その通りだ。
梨沙を抱きかかえて、交番を出た。
#9へつづく
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