安全ピンを、ぺっ、ってしよう。
おだやかに生きられますように。。。平安に生きられますように。。。
怒りが込み上げてきても、深呼吸して、6秒間数えて、スマイルつくって、場所を移して。。。
っでも、怒りが抑えられないっ!
ってことが、たまーに、あるよね。
なんで、人間には「怒り」という感情が備わっているんだろう?
一説によれば、人間は生存の危険に直面した時、体内にアドレナリンを放出して、全力で戦って相手を倒すか、全力で走って逃げるか、どちらでも対応できるよう一瞬で体制を整えて、でもって、どっちにするかを数秒で選択するんだって。
その究極の選択をさせる感情のトリガーが「怒り」なのだそうだ。
。。。もちろん、諸説あります。。。
すると、怒りのおかげで人間はこれまで生き残れたことになるねー。
だとしたら、きっと、これからも人間は怒り続けて行くんだろう。
今日の聖書の言葉。
あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が。 神は御自分の嗣業の民の残りの者に いつまでも怒りを保たれることはない 神は慈しみを喜ばれるゆえに。
ミカ書 7:18 新共同訳
人間には、デフォルトで怒りが備わっていることは、まあ、わかるとして。。。
じゃあ、なんで人間は、怒りを「神」のパーソナリティーに投影したりするんだろう?
聖書に出て来る、怒れる神、って、そういうことだよね?
考えてみたら、へんだよ。。。
だって、そもそも神は神なんだから、神が生存の危険に直面することなんて、ないじゃない?
考え得る説明があるとしたら。。。
神は「神」の生存の危険に直面するから怒るのではなく、神は「人間」の生存の危険に直面するから怒るのかもしれない。
たまに思い出すエピソードがあるんだ。。。
小さい子に怒ったことが、自分は、ある。
知り合いの子が2歳ぐらいのときかなー。口をもぐもぐさせていたので、「あれ? なにおいしいもの食べてるの? 見せてごらん」と言ったら、舌をべーっと出して、その上に、安全ピンが載ってた。。。
「バカッ! ぺっ、ってしなさい、ぺっ、って!」と怒ったのは、言うまでもない。
その子はキョトンとしていたけど、さ。。。
自分の目には安全に見えても、じつは生存をおびやかす危険なものって、あるのかもしれないね。
てか、あるよね。いや、あるか。あるある。あれ、とか、これ、とか。。。
で、もぐもぐしてる時には、自分には危険性は、わからない。
でも、それがほんとうに生存にかかわる危険なら、「神」は全力で怒ってくれるんだろう。
それにしたって、神は、やっぱり、神だから、ねー。
もし神が、本気出して怒ったら、宇宙は簡単に滅亡してしまう。って言うか、この宇宙は、ほんとうに一回、滅んだことがある。それがノアの洪水だったんじゃないか。
怒るたびに宇宙をやり直していたのでは大変なので。。。。
だから神は、神の全力の怒りを宇宙に向けてぶちまけることはやめにして、十字架のイエスの上に注ぐことにしたんじゃないか、と思う。
十字架のイエスを見上げるたびに、あー、神は本気で怒っているんだなあ、と感じる。そして。。。
復活のイエスを見上げるたびに、平安を感じて、あー、神の怒りは過ぎ去ったんだなあ、と思う。
そういうふうに「平安」を感じられるためには、秘訣がある。
それは、自分が安全だと思ってもぐもぐやっている「安全ピン」のあれやこれやを、吐き出して、ごめんなさい、と神にあやまること。
それから、十字架のイエスを見上げて、そこに、神の全力の怒りが注ぎ出されているのを、感じること。そして、復活のイエスを見上げるんだ。
復活のイエスを見上げると、もう神の怒りは完全に消滅して、ただ、ただ、赦し・恵み・祝福・愛だけがあることを、感じることができるんだ。
だから、ね。やろうよ。ぺーっ、て。
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく
わたしたちの主イエス・キリストによる
救いにあずからせるように定められたのです *
註)
* Cf. テサロニケ一 5:9
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