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いろいろ媒体は移り変わっても、けして変わることのないスピリットについて。

コロナ禍のために職場でペーパーレス化が一気に進み、会議では紙の資料は完全に使わなくなった。買い物もほぼ Apple Watch の非接触決済だけで済ませている。聖書も PC や iPhone や iPad で読むことがほとんどになり、礼拝や集会で説教するときは紙の原稿は使わず、Microsoft Word で打ったノートを iPad で見ながらやるスタイルになった。2019年12月の時点では自分の生活がここまでペーパーレス化するとは予想できていなかった。

世界でワクチン接種が進んでいる。変異株については、既存のワクチンで感染は完全には防げなくても、重症化は確実に抑えられるとわかってきて、終息へ向かいつつあるという感じはする。しかし、完全な終息がすぐに来るとはまだ思えない。世界は大きく変わってしまった。その変化は不可逆的で、もう以前のような生活に戻ることはないだろうと思う。

今日の聖書の言葉。

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ローマの信徒への手紙 10:17 新共同訳

世界は常に変化している。戦争や革命や疫病といったタイミングでは急激に世界が変わる。永遠に盤石と思われていた体制すら歴史の舞台から退場させられることがある。そういう変化が 1000年、2000年というオーダーで積み重なれば、世界の姿は完全に変わってしまう。しかし、そういう中にあっても決して変化しないものも少数ながら、ある。

キリストは、よみがえられた
ほんとうに、よみがえられた

この短いステートメントは「福音」と呼ばれるものだ。これは、この 2000年間で少しも変化しなかった数少ないもののひとつだと思う。そして、おそらく、この先 3000年、4000年と変化することなく、ひとからひとへと語り伝えられて行くはずだ。

この短いステートメントは、簡単に記憶でき、簡単に発語でき、抽象的な理論ではなく、時空における具体的な事実を述べている。しかも、その事実を受け取った者にはトリガーポイントとして作動して「救い」という主観的な体験を経験させる。

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマの信徒への手紙 10:9-10 新共同訳

キリストは、よみがえられた。ほんとうに、よみがえられた。。。この短いステートメントを受け取り、口で告白するだけで、ひとは救われ、解放され、癒され、聖霊に満たされ、あたらしくされる。ほんとうに、それだけで十分なのだ。

そして、それがあまりにも必要十分過ぎたために、イエスの十字架と復活の出来事の直後においては、その出来事自体を図書化する必要性を、誰ひとり感じなかったのではないだろうか。最初の福音書をマルコが書いたのは、最も早く考えた場合でも西暦 48年頃のことだ。それはイエスの復活から 15年後のことになる。

遅まきながらも始まった図書化の作業は、この単純なステートメント「キリストは、よみがえられた。ほんとうに、よみがえられた」のスピリットを参照点としながら進められていった。それは、基本的にはキリストの復活の出来事を直接体験した当事者たち。。。彼らは「使徒」と呼ばれた。。。の証言や口述や手紙を収集するかたちでボリュームとなった。そのボリュームが、いま新約聖書と呼ばれているわけだが、図書化の過程においては「キリストは、よみがえられた。ほんとうに、よみがえられた」のスピリットに参照して少しでも違和感を感じさせるものは、ボリュームから外されて行った。だから、新約聖書とはそのスピリットによって「書かれた」ものと見ることができる。

テキストであるボリュームは、パピルスに記され、羊皮紙に記され、紙に記され、いまは電子的なデータとして記されている。これからも世界は変化し、世界の変化とともに媒体も変わっていくだろう。しかし、そこに記された情報を書かせたところのスピリット。。。

キリストは、よみがえられた
ほんとうに、よみがえられた

このスピリットは、これからも永遠に変わることはないのだ。

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