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マリアの勇気
クリスマスのミステリーのひとつがマリアの処女懐胎だ。
ほんとうにあるのか、そんなこと? と思ってしまうけれど、まあ奇跡だからね。。。
奇跡とは、常識的に考えてありえないことが、どういうわけだか起きてしまうこと。。。それが奇跡のシンプルな定義だ。
天使から受胎告知をうけたマリアがとまどったわけは、彼女の常識として「結婚していない処女が妊娠するはずがない」という理解があったから。
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」
ルカによる福音書 1:34 新共同訳
そういう意味では、古代人であるマリアはわれわれ現代人と同じ常識を共有しているんだ。そのうえでマリアに彼女自身の常識に照らして起き得ないことが起きてしまった。。。
ここで人間の反応は大きく分岐することになる。
ひとつは、自分の理解を超えていることに「畏れ」の念を抱いて、身を低くし、それを受け入れるということ。
もうひとつは。。。
自分の理解を超えていることに「恐れ」の念を抱いて、身を隠し、それから逃げるということ。
畏れと恐れじゃ似てるけど、ぜんぜん違う。
なんとマリアは逃げるのではなく、受け入れるほうを選んだ。
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」
ルカによる福音書 1:38 新共同訳
この奇跡を受け入れるかどうかはマリアという個人にとって人生の分岐点だった。それだけじゃない。人類全体にとっても大きな分岐点だった。
もしマリアが逃げるほうを選んでたら、いまごろみんな神から逃げ続けることになってたんじゃないかと思う。
マリア、ありがとう。。。
今日の聖書の言葉。
それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。
イザヤ書 7:14 新共同訳
マリアから生まれた救い主イエス・キリスト。
そのイエスをわたしたちが受け入れるとき、わたしたちはあたらしい命に生まれ変わることができる *。
それは奇跡だ。
でも、その奇跡はもちろん常識に照らして、ありえないことだよね。だって、あたらしい命に生まれ変わるなんて、簡単にできたら世界中だれも苦労しないじゃん。。。
だから疑ってしまって当然なんだ。ユダヤ教のラビ(律法学者)であるニコデモさえ思わずこう言ってしまうほどなんだから。
イエスはお答えになった。「あなたがたは新たに生まれねばならない」
。。。するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
ヨハネによる福音書 3:5-9 抜粋 新共同訳
常識人である自分もおそらく言ってしまう。。。いや、まさか、そんなことあるわけないじゃん。。。って。
だからこそ、マリアの持っていた勇気が自分にも必要なんだ。
註)
* Cf. コリント二 5:17
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