見出し画像

みんなが自分勝手な生き方をしているときに、だれかが。。。っていう話です。

学校の教室でみんなが自分勝手なことを言い出して収拾がつかなくなったとき、いまの学校の先生って、どうするんだろう。。。

昭和の先生だったら、机をバンッて叩いたり、大喝一声だいかついっせいしたり、職員室に帰っちゃったりしてたよなー、って、なつかしく思い出す。

いまの時代、そんなことしたらパワハラだから、絶対に出来ないよね。

もし自分がそういう事態の収拾にあてられたら、途方に暮れると思う。

この世界が教室みたいなものだとしたら、先生に相当するのは国連安保理の常任理事国だろうか。。。

でも、現在進行中の事態は、先生が率先して子どもをイジメているようなものだから、もう教室は滅茶苦茶だ。。。

教室に閉じ込められた人類にとっては、どうすることもできない。

まさか地球から逃げ出すわけにもいかないしさ。まあ、先生ひとり火星にでも行ってくれたらいいんじゃん、って思うけど。。。

今日の聖書の言葉。

わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
イザヤ書 53:6 新共同訳

みんなが自分勝手なことをやり始めて収拾がつかなくなってしまったら、最悪、世界は滅亡まで行くだろう。

だから、世界が滅びないためのシステムをどうしたら作れるか、ということを人類はむかしから試行錯誤して来たんだと思う。

国連安保理はその成果物だよね。でも、それがいま危機に立たされている。

宮崎駿の『ナウシカ』では、収拾がつかなくなった世界を生き残らせるために、人工の世界審判者である「巨神兵」を作ったことが描かれている。もちろんファンタジーだけど。。。

東亜重工業の謹製である巨神兵は、神レベルの人工知能と、神レベルの最終兵器を兼ね備えた巨大な人型ロボットだ。

衝突・紛争・戦争が発生すると、巨神兵は飛んで行って当事者双方の言い分を聞き、世界審判者としての裁定を下す。それでも争いをやめない場合には、最終兵器を発動して双方とも滅ぼしてしまうんだ。

最終兵器の威嚇に恐怖した人類は、世界審判者の裁定を素直に受け容れて、平和に暮らせるはずだ、というのが巨神兵を制作した科学者たちの想定だったんだけれども。。。

でも、残念ながら人類は世界審判者の裁定を拒否し、その結果、大挙襲来した巨神兵によって世界は滅ぼされてしまう。その滅亡後に生き残ったひとたちの物語が『ナウシカ』だ。

このストーリーは巨神兵タイプのアイデア・つまり・最終兵器の脅しによっては人類は平和になれない、ってことを示唆しているんじゃないかと思う。いまの世界の現状を見ると思い当たるところがあるよね。。。

これと対称的なアイデアが、神道の「大祓祝詞おおはらえののりと」に出て来る世界維持システムだ。これは、すべての神社で毎朝かならず唱えられるお祈りの言葉のなかで示されている仕組みなんだけど。。。

どういうのかというと、この国ではいろんなひとが自分勝手なことをして、その罪障がうずたかく積み上がって行っている。それを天つ罪あまつつみ国つ罪くにつつみって言うんだけれど。。。

その罪障の蓄積を放置していると、大厄災だいやくさいを招来して国土が滅亡してしまう。なので、そうならないよう毎日みんなの罪障を川に捨ててしまうのだ。そのためのお祈りが「大祓祝詞」だ。

川から海へと運ばれた罪障は、沈下して地の底にまで達する。すると、地の底で待ち構えているハヤサスラヒメという女神が、すべての罪障を飲み干して、泣き叫び苦しみながら冥界を永遠にさまよい続けることによって、罪障を滅するのだ。

今日もみんなが自分勝手なことをやって生きている。しかし、それでも世界が滅びないのは、だれも知らない地の底で、苦しんで、傷ついて、ボロボロになって、泣き叫びながら、暗闇をさまよい続ける「だれか」がいてくれるから。。。

日本人がかるーく言う「水に流そう」という言葉の背後には、こういう世界観的前提があるんだねー。

ハヤサスラヒメが消尽できる罪障が、もし日本の国土に限定されたものだとしたら、じゃあ、過去・現在・未来の諸民族・諸言語・諸国家すべての人類の罪障は、いったい、だれが、どうやって処理するの? っていうことになると思うんだけど。。。

自分はクリスチャンなので、それがイエスの十字架と復活だ、と思っている。

「神」であるイエスは、世界審判者でもあるし、だから、世界を滅亡させることのできるスーパーパワーも持っている。全能者だからね。そういう意味では巨神兵に似ているかもしれない。。。

しかしイエスは、全人類の罪障を身ひとつに引き受けて、十字架につけられ、泣き叫び、苦しみ、死んで、地の底に下ることで、すべての罪障を消滅させた、という意味ではハヤサスラヒメに似ているかもしれない。。。

巨神兵とハヤサスラヒメをかけあわせたみたいな存在だね!

でも、ハヤサスラヒメが暗闇を永遠に彷徨するのに対して、イエスは三日目に墓から出て来て「おはよう!」って言うことで、永遠の朝の光をこの世界にもたらしてくれた *。

復活したイエスは今日も全人類によびかけている。悔い改めろ、って。みんな自分勝手な生き方はやめて、永遠の朝の光のなかに入って来い、って。お互いに親切にして、相手を自分よりすぐれた者と思って、愛し合って生きるようになれ、って **。

教室のなかに人類が閉じ込められているとしても、イエスはすーっと入って来て、この言葉を、繰り返し、繰り返し、言ってくれるに違いないんだ。

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
ヨハネによる福音書 20:19-23 新共同訳

註)
*  Cf. マタイ 28:9
**  Cf. フィリピ 2:2-5

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?