#975 クリスマスなのに断食するぐらいの気持ちで悔い改める、っていう話です。
クリスマスの過ごし方っていのは、むかしからずーっと同じだろう、って思ってしまいがちだけど。。。
でも、時代や地域によってずいぶんバリエーションがあるんだよね。
中世のヨーロッパでは、クリスマスと言えば黒一色だったらしい。
っていうのも、クリスマスのテーマが「世の終わりに備える」ってことだったから。
クリスマスに向かうシーズンをアドベントとも言うんだけど、アドベントの意味は「到来する」ってことだ。
いったい何が到来するかというと、イエスが到来する、ってわけなんだけど、この場合は二度目の到来、ってことになる。
イエスの一度目の到来では、赤ん坊となった「神」がユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に降り立った。それがクリスマスだ。
二度目の到来では、イエスが最後の審判を行うために光る雲に乗ってエルサレム近傍のオリーブ山のてっぺんに降り立つ、とされている。
つまり、イエスの二度目の到来に備える、とは、最後の審判に備える、ってことなんだよね。
今日の聖書の言葉。
そういうわけだから、中世ヨーロッパのクリスチャンたちはクリスマスのシーズンになると教会の内装を黒一色にし、断食をして数週間を過ごし、自分のあやまちを反省しながら悔い改めの祈りをささげたんだ。
その結果、良心に責められるところのないクリアーな状態になって、晴れてイエスの二度目の到来を穏やかな気持ちで迎えられる、ってわけだねー。
聞くところウクライナのクリスチャンたちのあいだではクリスマスのシーズンに断食する習慣がいまも残っているらしい。
興味深いことにウクライナではクリスマスイブの夕食は「断食明けの食事」として位置づけられているんだって。
そのメニューは12人の使徒にちなんだ12種類の食事で構成されていて、どれも肉とか油とかを用いない穀物がメインの料理らしい。
そりゃあね、数週間も断食した明けに、いきなりステーキを食べたら、急性胃腸炎になってしまうからね。
それにしても、隣国から攻め込まれる状況のなかで守るクリスマスの断食って、どんな感じがするんだろう。。。
きっと、生きて断食明けを迎えられないかもしれない、っていう可能性だって考えるはずだよなあ、と思う。
ロシアとウクライナの紛争がはじまってから2人ほどのひとに「戦争をするのはいつもクリスチャンだ」って言われて、とっても悲しい気持ちになった。
クリスチャンが多い地域を見ると、たしかに昔もいまも戦争をするのはいつもクリスチャン、と形容するしかないような歴史と現状が存在しているよね。
互いに愛し合うならば
それによってあなたがたがわたしの弟子であることを
皆が知るようになる
クリスチャンたちが誠実に愛し合うなら、世界のひとびとはイエスをより身近に知ることができるようになるだろうし。。。
逆に、愛し合うことに失敗すれば失敗するほど、世界のひとびとはイエスから遠ざけられてしまうことになると思う。
それにしても、世界の現状を見るにつけ、お互いに愛し合うってことのハードルは、どんどん高くなっている気がするよね。
今年の2月にロシアがウクライナに攻め込んだばかりのときのこと。。。
ウクライナの農家のおばさんがロシアの若い兵士に熱い紅茶とパンを差し出しながら「これを食べて、ママに電話して、家に帰りなさい」ってさとしている動画を見た。
その若い兵士は泣きながら紅茶を飲み、泣きながらパンを食べていたっけ。。。
愛することの条件がどんどん高くなっているこの世界にあって、それでも自分にできる小さなことを通して誠実にだれかを愛そうと努力している、あのウクライナのおばさんみたいなひともいるんだなー、って思った。
じゃあ、ひるがえって、自分はどうだろうか。。。
もし自分の国が敵に攻め込まれたら、あのおばさんと同じようなふるまいを自分もすることができるだろうか。。。
それをちゃんと見極めるためには、このクリスマスにイエスの二度目の到来のことを考えながら、真面目に悔い改めの祈りをするしかないよね。。。
まあ、断食まではしないんだけどさ。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?