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ゴールデンルールは、いつでも、どこでも、すっごく単純!

ああ、あのとき、ああしておけば。。。

という、後悔。

その後悔の積み重ね、としての、人生。

その積み重ねたすべての「たな卸し」をする、最後の瞬間。

そして、たな卸し表をもって「永遠の朝」に足を踏み入れて行く。。。

ゆっくり、時間をかけて、たな卸しをさせてもらえたら、いいけど、さ。

なかなか、そういうわけにもいかない。

今日の聖書の言葉。

ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
ガラテヤの信徒への手紙 6:10 新共同訳

パウロはここで「時のある間に」と書いている。

それは、おちおちしてると時間がなくなる、ということなのかもしれない。

神学者のアルベルト・シュヴァイツァー (1875-1965) が明らかにしたように、新約聖書というのは、世界の終末が「切迫している」という感覚でもって書かれている。

時間がない! 急いで! ハヤク、ハヤク! といった感じか。

そうなると、人生を後悔しないためには「いまを生きろ」(Cape Diem)という呼びかけになるんだろうなあ、と思う。

今日と言う日に、やりたいことを、やってしまう、という。

でも、それは、欲望のまま刹那的に生きろ、という意味ではない。

ひと、と、ひと、の関係において、あとあと後悔しないように「いまを生きろ」ということなんだと思う。

それについてパウロは、他人に対して善を行え、って言っているわけだけど。。。

すべての人に対して
特に信仰によって家族になった人々に対して
善を行いましょう

じゃあ、他人に対して善を行うって何なのよ?  リスト化してみてよ! みたいに、すぐなりがちなんだけどさ。。。

これについては、イエスは、ゴールデンルールを示してくれている。

それは、すっごい単純なものだ。

人にしてもらいたいと思うことを
人にもしなさい *

ついつい「他人にしてほしいことを、他人に要求する」っていうふうになってしまいがちなんだけど。。。

そうじゃなく、あー、自分、ひとから、こうしてもらったら助かるな・うれしいな・気が楽になるな・ありがたいな、って日頃から欲していることを、ぜーんぶ自分から他人に対してやっていく。それが「善」を行うことだ、というわけなんだ。

残された時間は、どれぐらい、あるんだろう。

時間がない、みたいな調子で新約聖書が書かれてから 2,000年が経過している。この調子で世界はまだまだ進行し続けるのか、それとも、ほんとうに時間がないのか。。。それは、だれにもわからない。。。

だから、後悔しないように、人にしてもらいたいことを、人にして行こう。

自分が日頃から欲していることは。。。

自分は他人から大目に見てもらいたい。失敗を見逃してほしい。広くゆるやかなこころで接してほしい。あれこれ注文をつけずに、あるがままの自分を受け入れてほしい。。。

もうね、生まれたときから、ずーっと、こればっかり欲している。

だから、それをそのまま、他人に対して行っていこう。

他人を大目に見よう。多少の失敗は見逃そう。広くゆるやかなこころで他人に接しよう。あれこれ他人に注文をつけず、あるがままに受け入れよう。

そして、おそらく、というか、ほぼ確実に、そうすることに自分は失敗して、後悔が積み重なって行くわけなんだけど。。。

でも、後悔したときは、イエスさまのもとに行って、ごめんなさい、をして、ゆるしていただこう。そして、もっかい新しい気持ちになって、「善」を行う決心をしよう。

註)
*  Cf. ルカ 6:31

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