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ウィズコロナ時代の信仰⑨

ウィズコロナ時代の信仰というメッセージも9回目となりました。6回目ぐらいで終わるかな、と思っていたのですが、見通しが甘かったですね。

都内では一日の新規感染者が 4,000人台となり、感染爆発が起きている状況です。その7割はデルタ株と言われる変異ウイルスによるもので、発症者の多くは 20代から 50代です。ワクチン接種を終えた 65歳以上の感染は劇的に減っていますので、ワクチンの効果は確実に出ている証拠だとも言えます。

ですので、50代以下の接種をいかに早く進めるかがカギになりますが、ワクチンの供給に遅れが生じているようです。また、ワクチンを受けていても感染してしまうブレークスルー感染が起きていて、もちろん、ワクチンのおかげで重症化はしにくいのですが、ワクチンをしたからと言ってマスクや手洗いをやめてはいけない、ということがわかってきています。

ブレークスルー感染は、国民の大半がワクチン接種を終えたイスラエルでも起きていて、イスラエルでは3回目の接種によるブースター効果によってブレークスルー感染を抑えようとしています。これに対して WHO(世界保健機構)が「発展途上国にワクチンが回らなくなるからやめてくれ」と抗議しました。もし、どの国も3回目のブースター接種をやり始めると、世界的にワクチンの供給が不足する状況になると思います。

デルタ株は飛沫を通して放出されるウイルスの量が従来型より 1,000倍多いとされていて、飛沫がエアロゾルとなった場合には空気中に最大3時間滞留すると言われています。このためもあるのでしょうか。東京や大阪の大型商業施設で感染クラスターが発生しています。

東京都の予測では、このまま感染爆発が続いた場合、一日の新規感染者数が1万人を超えるとしています。そうなりますと、医療がひっ迫し、入院できない状況になってしまいます。政府はそれを見越して「中等症以下の患者は原則自宅待機」という方針を発表しました。これは国民から大ブーイングを受けていまして、秋の総選挙への影響を危惧した与党が政府に撤回を要求していますけれど、いまのところ政府は撤回しないようです。

感染爆発を抑えるには、ひたすら家にいる・食料や薬を買う時以外は外に出ない、という徹底した自粛をみんながすることが必要です。諸外国ではロックダウンが行われています。自粛とロックダウンの違いは何かと言うと、外出したら逮捕されるのがロックダウンです。

日本では戦争への反省から、国民の自由を大切にする政治が行われてきました。しかし、自粛の呼びかけだけで感染爆発が抑えられない場合には、罰則を伴うロックダウンの導入もやむをえない、という議論が政府で行われています。みんなの自粛で感染爆発を抑えられるかどうか。それ次第では、もしかしたら戦後の政治の在り方が変わってしまうかもしれません。そういう意味でも、わたしたちは大きな節目に来ている、と言えます。 

このような時代に、忍耐深く、悲観的にならず、希望をもって生きるには、どうしたらいいのでしょうか?

今日は、わたしたちが抱くことのできる希望について、3つのポイントを見て行きたいと思います。 

第一のポイントは「わたしたちの過去を参照する」ということです。

わたしたちの過去を参照する

困難や問題に直面した時、わたしたちは「なにが悪かったのだろう」と思って、過去を参照します。そして、あれが原因だろうか? これが原因だろうか? と考えます。

しかし、聖書は、わたしたちが参照すべき「過去」は何であるかを明確に示しています。それは、永遠の過去でありまして、その永遠の過去に、わたしたちはしっかりと立たなければいけません。 

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 
エフェソの信徒への手紙 1:4-5 新共同訳

永遠の過去とは、「天地創造の前」です。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、わたしたちを聖なる者、汚れのない者にしようと、キリスト・イエスにおいて選んでくださいました。これが、わたしたちの永遠の過去です。ここに、わたしたちは人生の土台を置く必要があります。

過去と言った場合、1か月前を悔やむのではない。1年前ああしておけばよかった、と後悔するのではない。50年前をなつかしむのではない。わたしたちは永遠の過去において、救われ、きよめられ、聖なる者となるようにと、キリスト・イエスのうちに選ばれた、と言うのです。

この永遠の過去の事実を人生の土台とするときに、わたしたちは目先に左右されない安心安全を得ることができるのです。 

第二のポイントは「わたしたちの現在を参照する」ということです。 

わたしたちの現在を参照する

わたしたちは、今日の自分の姿を、どのように描くことができるでしょうか? コロナの感染爆発のために家にじっとしていることを余儀なくされて、ストレスを感じている自分。そういうふうに描くでしょうか。

しかし、聖書は、わたしたちの「現在」の姿はこれである、と明確に示しています。 

わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。  
エフェソの信徒への手紙 1:7 新共同訳

ここに、わたしたちの今日の姿、いま現在の姿が示されています。わたしたちは御子イエス・キリストによって、その血によって贖われ、罪を赦され、しかもそれは、神の豊かな恵みによるのです。それが、わたしたちの今の姿です。

神の恵みによる、ということは、わたしたちの努力、成績、パフォーマンスによるのではなく、神から一方的にあたえられている、ということです。 

コロナ禍の自粛生活のなかで、自分を見失ってしまう時があるかもしれません。しかし、自分は何をしているんだろう、自分は何者なんだろう、と心がゆらぐときは、いつも、ここに立ち返る必要があります。

すなわち、自分は、いま、この瞬間、イエスの血によって贖われ、罪を赦され、神の豊かな恵みによって生かされているのだ。それが自分だ! それが、今日の自分の姿だ、ということを確信して行きましょう。

それだけではありません。聖書は、わたしたちの「未来」の姿をも明確に示しています。それが第三のポイントです。わたしたちの未来を参照しましょう。 

わたしたちの未来を参照する

わたしたちの人生は、コロナ禍でダメージを受けて、それでおしまい、ということにはなりません。

時が満ちると、救いの業が完成されて、あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。これが、わたしたちの未来です。そして、神の計画表に従って全宇宙は確実にそこに向かって進んでいるのです。

こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。  
エフェソの信徒へ手紙 1:10-11 新共同訳

このように聖書は、わたしたちの過去・現在・未来を明らかにしています。それでは、わたしたちの過去・現在・未来を保証するものは、なんでしょうか? 

わたしたちの過去・現在・未来を保証するもの

わたしたちの過去・現在・未来を保証するもの。それは、聖霊です。わたしたちがイエス・キリストを信じる時、聖霊の証印がわたしたちの心に押されます。それは、決して消えることのない永遠の神の刻印なのです。 

あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。 
エフェソの信徒への手紙 1:13-14 新共同訳

わたしたちが信じたら押されるという聖霊の証印。自分に聖霊の証印が押されているかどうか、どうしたらわかるでしょうか? 

聖霊の証印を確認する

「自分に聖霊の証印が押されているかどうか」を確認する方法は非常に簡単でありまして、自分はイエスを信じている、ということ自体が、聖霊の証印を押されている「しるし」なのです。

なぜなら、「聖霊によらなければだれもイエスは主であると言うことはできない」と聖書は言っているからです。 

聖霊によらなければだれもイエスは主であると言うことはできない
コリントの信徒への手紙一 12:3 新共同訳

イエスはあなたの主でしょうか? もし、心の底からアーメンと言えるなら、あなたは聖霊の証印を確かに押されており、それゆえに、あなたの過去も、現在も、未来も、神によって保証されているのです。

なぜなら、聖霊によらなければだれもイエスは主であると言うことはできないからです。「イエスは主です!」と告白するあなたの信仰こそ、聖霊の証印であり、それが、あなたの現在・過去・未来を保証するのです。

今日の聖書の言葉。

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。
エフェソの信徒への手紙 5:1 新共同訳

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