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人生には最低三回の orz がある、っていう話です。

「神」への礼拝を最も短いコトバで表現するとしたら。。。

自分的には、こんな感じだ。。。

神よ あなたは神です orz

今日の聖書の言葉。

わたしたちを造られた方
主の御前にひざまずこう。
共にひれ伏し、伏し拝もう。
詩編 95:6 新共同訳

orz というのは、ヘブライ語でもギリシャ語でもアラム語でも、ない。

ひざを折り、手を床につき、ひれ伏すさまをあらわすアスキーアートだ。

orzは、跪き頭を垂れる姿をアルファベットで表した日本発祥のアスキーアートである。 失望、落胆や絶望の表現。 「がっくり」の意。 「o」が頭・「r」が腕と体・「z」が跪いた腰から下の脚を表す(by Wikipedia)

人生の中で、床にくずおれ、自分の無力感に打ちひしがれる時って、最低でも三回はあるんじゃないのかなー、って思う。

一回目は思春期だね。

幼児的全能感でつっぱしって来たのが、ホルモンバランスの変化によって、木っ端みじんに打ち砕かれる、っていう。。。

あれは、つらいもんだね。。。

二回目は42歳ぐらいだろうか。ユングが言う、第二の思春期。

昭和オヤジ的全能感でつっぱしって来たのが、やっぱりホルモンバランスの変化によって、木っ端みじんに打ち砕かれる、っていう。。。

自分。。。死にそうになりましたが。。。なんとか、やりすごしました。。。

三回目は臨終の時じゃないかと思う。

悟り老人的全能感で最終コースに入っていたのが、今度は、すべての生体反応の停止によって、終了させられてしまう、っていう。。。

いま自分は、その瞬間を目指して、ひた走っています。はい。。。

自分の無力感に打ちひしがれて、ただ、ただ、床につっぷすことしかできない。。。

それは、気分としては、最悪の状態だ。。。それが orz だ。

でもね。。。その orz の目の前に「神よ あなたは神です」を、そっと置くだけで。。。

神よ あなたは神です orz

そしたら、それは、ほんとうの、ほんものの「神」への礼拝になるんじゃないかと思うんだ。

そういう礼拝が成立した瞬間、その場所は、生ける「神」の臨在によって満たされる。

その臨在はリアルだ。

たとえ、自分自身はからっぽでも、いや、むしろ、自分自身はからっぽだからこそ、「神」の臨在に触れることで、生きることができるんだ。

なので、生きよう。生きていいんだ。生きて行こう!

神よ あなたは神です orz

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